岸本佐知子さんが訳す海外文学はどれも断然面白い!翻訳モノになじみがない人もたちまち夢中に。妄想、奇想が無限に広がる最新エッセイも含め、連載で全19冊をご紹介します。今回はルシア・ベルリンにフォーカス。#海外文学のおもしろさを教えてください
ハードな人生なのに華やか。ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』|翻訳家、岸本佐知子が語る海外文学のおもしろさ vol.5
岸本さんが熱烈に惹かれる 3人の女性作家
ルシア・ベルリン
『掃除婦のための手引き書』
掃除婦として働きながら、いつか死ぬ時のために盗んだ睡眠薬をためこむ主人公を描いた表題作など、24編を収録。(講談社/¥2,200)
ハードな人生なのに華やか。笑いもある
長いあいだ「知る人ぞ知る」作家だったというルシア・ベルリン。岸本さんが手にとったのはなぜだろう。
「十数年前、リディア・デイヴィスがルシア・ベルリンについて文章を書いて褒めていたので本を取り寄せてみたんです。パッと開いて、最初に読んだのが『マカダム』でした。女の子が道路を舗装する囚人たちを眺めている。マカダムはアスファルトみたいな舗装材のことです。ローラーがない時代だから足で踏み固める。女の子はその音を聞いているうちに、マカダムがお友だちの名前みたいな気がしてこっそり言ってみる。それだけの話ですが、すごく衝撃を受けて。この作家の声を日本語で再現しなきゃいけないという強迫観念に駆られて翻訳しました」
そして生まれた初めての邦訳作品集が『掃除婦のための手引き書』だ。3度の結婚を経験し、アルコール依存症に苦しみながら、シングルマザーとして4人の子どもを育てた。作家のハードな実人生が主な題材になっている。
「子どものころに性的虐待も受けていて、本当に大変な人生です。ただ、それをアピールしたいわけじゃない。メッセージを伝えるとかではなく、ただもう書くしか選択肢がない人だったのでしょう」
作家自身と小説の言葉のあいだに少し隙間があるのだという。
「その隙間から笑いや華やかさがあふれてくるところが好きです。ずっと花の匂いがするなと思いながら訳したんですよ。南国の花の匂い。書いたのが美しい女性だからではなく、花に似た強さを感じたのかもしれません」
『掃除婦のための手引き書』は、本好きのあいだで大きな反響を読んだ。
「物書きの人にもすごく刺さったみたいです。装幀してくれたクラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さんは小説家でもありますが、この本を読んで〝俺もこうしちゃいられない。何か書かないと〟と言っていて。ルシア・ベルリンの声は、創作のモチベーションを司るブラックボックスみたいなものに響くのかもしれません」
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Lucia Berlin
1936年アラスカ生まれ。作家。3回の結婚、離婚を経て、高校教師、掃除婦、電話交換手などをしながら、シングルマザーとして4人の息子を育てる。2004年逝去。
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岸本佐知子
翻訳家。主な訳書にジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』、スティーヴン・ミルハウザー 『エドウィン・マルハウス』、ブライアン・エヴンソン他『居心地の悪い部屋』、ジョージ・ソーンダーズ『十二月の十日』など。『ねにもつタイプ』で第23回講談社エッセイ賞を受賞。
Photo: Natsumi Kakuto Text: Chiko Ishii, Hikari Torisawa