六本木の演劇文化を築いた劇場や、新宿のファッションシーンを盛り上げたビル。街のカルチャーを育み、愛されてきた建物が再開発や老朽化で消えゆくこともある。そんな転換期を迎える場所を訪ね、いま現在の姿を撮影。その物語を聞いてみた。#街の文化を担った“あの場所”へ
覚えておきたい東京の風景:戦後演劇界のパイオニア「俳優座劇場」へ
街と共に進化し続けた新劇の殿堂
戦後演劇界のパイオニア
[六本木]俳優座劇場

街と共に進化し続けた新劇の殿堂
六本木交差点のすぐ近くに、「俳優座劇場」ができたのは1954年のこと。
「当時の六本木は陸の孤島。華やかな建物も首都高もない殺風景な街だったそうです。芝居を観に来る方々にとって唯一の足は、劇場前の通り(今の六本木通り)を走る都電。夜公演の終演時間が押しそうな時は、劇団員が電停へ駆けつけて、『お客さんが帰るから待ってて』なんて言いながら、最終電車を引き留めていたそうですよ」(劇場部・宮澤一彦さん)
そんな「俳優座劇場」の原点は、1924年創設の「築地小劇場」。現代演劇の原形とも称される新劇の劇団/劇場だ。
「新劇とは、商業主義の芝居ではなく、自分たちの自由な創造や表現を第一に掲げる演劇運動です。『築地小劇場』は空襲で焼失し、分派した各劇団は治安維持法によって解散させられましたが、1944年、往時のメンバーである千田是也らが『劇団俳優座』を立ち上げます」
さらに1954年、「築地小劇場」の精神を継ぐ新劇のための劇場を!と作られたのが、4階建ての「俳優座劇場」。
「メンバーは劇団活動を休んで映画に出演し、ギャラの7割を設立資金につぎ込んだ。それでもお金が足りず、一部は今でいうクラウドファンディングのような形でまかなったそうです。街の花屋さんや金物屋さんにも支えてもらって建てた“みんなの劇場”だったんですね」

1980年には、300席の劇場を併設する9階建てビルに改築した。映写室を備えていたこともあり、81年には「俳優座シネマテン」と銘打ったレイトショーもスタート。夕方から芝居を観て、ロビーのパブ「HUB」で一杯呑み、文芸作品やカルト映画を楽しむ人も多かった。
「新劇の魅力は、笑ったり泣いたりする以上に“考える芝居”だということ。一夜の夢物語ではなく、生活や人生へと深くつながっていく面白さがあるんです。そのスピリットは、『状況劇場』『天井桟敷』といったアングラ演劇や、その後の小劇場ブームへも受け継がれました。もちろん新劇そのものも古びることなく愛され続けています。劇場は4月末でクローズしますが、六本木の街と共に演劇文化を育んできた場所があったことを、記憶に留めていただけたらと願っています」

ℹ️
俳優座劇場
住所_東京都港区六本木4-9-2
1954年開館、1980年改築。4月末閉館予定。今後は劇場を持たず「俳優座劇場」の思想を受け継ぐプロデュース公演を主体に活動する。閉館前の最終公演は『嵐 THE TEMPEST』。原作はシェイクスピア最後の作品だ。4月10日〜19日。
Photo_Kohei Kawatani Text_Masae Wako