六本木の演劇文化を築いた劇場や、新宿のファッションシーンを盛り上げたビル。街のカルチャーを育み、愛されてきた建物が再開発や老朽化で消えゆくこともある。そんな転換期を迎える場所を訪ね、いま現在の姿を撮影。その物語を聞いてみた。#街の文化を担った“あの場所”へ
覚えておきたい東京の風景:旧帝大の交流倶楽部「学士会館」へ
知的な景色を作った昭和の名建築
旧帝大の交流倶楽部
[神田錦町]学士会館

知的な風景を作った昭和の名建築
皇居東御苑や神保町古本街にも近い神田の街の一角に、1928年竣工の「学士会館」旧館はある。旧帝国大学(現在の国立7大学)同窓生たちによる「学士会」の、倶楽部施設として生まれた建物だ。外壁は昭和初期に流行ったスクラッチタイル貼り。窓が上階になるほど小さいのは、高さを感じさせる視覚効果を狙ったものだろう。当時としては珍しい耐震耐火の鉄骨鉄筋コンクリート造りで、国の有形文化財にも登録されている。
「設計は帝国ホテル新館も手掛けた高橋貞太郎。関東大震災後に建てられた震災復興建築で、当時は周囲に高い建物がひとつもなかったそうです。つまり5階建ての当館が“高層建築”。学士の倶楽部という特別感も含め、街の人には知的で進歩的な存在に見えていたと思います」
そう語るのは総支配人の澤田浩さん。館内の造りやインテリアは、さまざまな地方から集まる学士たちにとっての“家”をコンセプトに考えられたそうだ。
「内装も家具も、美しい建築にふさわしいものが選ばれていますし、食器も白地に金縁のスープ皿や金色のカトラリーというオリジナルです。我々の使命は、学士の方々の誇りである建築と、そこに寄り添う文化とをきちんと継承していくこと。ですから、コストも手間もかかりますが、ほとんどが当時のままなのです」
そんな「学士会館」がレストランや宿泊施設の一般利用を始めたのは平成半ば。地域住人との交流もいっそう増え、街のシンボルと言われることも多くなった。 「古い街ということもあり、人付き合いが深くて温かい土地柄なんです。神田祭の時は、我々、学士会の半纏を着て神輿を担ぎに行くんですよ」
さて、100年近くにわたって愛されてきた名建築は、建物の老朽化などによる全面改修のため、昨年末に休館。クロージングセレモニーには約500人が集まり、「サヨナラは禁句」の声と共に、神田一本締めの中締めが行われた。
「1937年に増築開業した新館は解体しますが、旧館は建物の形を保ったまま、曳家工事で7mほど移動する予定。手仕事のステンドグラスも、装飾が施された柱や調度品も、いずれ迎える再開の日のため、大切に保管しています」


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学士会館
住所_東京都千代田区神田錦町3-28
1928年竣工(旧館・写真)。設計は高橋貞太郎、建築構造は日本の耐震工学を確立した佐野利器。この土地は1877年に東京大学が創立(1885年移転)された場所でもある。2024年12月29日休館。2030年ごろの再開を予定。
Photo_Kohei Kawatani Text_Masae Wako