──8年間見つめ続けてきて、地元の人の方に近くなっていく気持ちはなかったですか?
瀬尾: 一日の中で二つの立場を行き来する感覚ですね。陸前高田に住んでいた時は、写真館でどっぷり働いてもいたので、勤務中は写真屋の娘風に生きていて、家に帰ると、山道を1時間くらい歩きながらツイートを書いて、ぎゅっと引き戻って。間に立つことで、なんとかバランスをとっていました。街で働く時は、なるべく地元の人に近い感じにしていたけど、同化するのはすごく失礼だと思っていて。当事者になったふりは絶対しちゃいけない。けっこう大変だったけど、慣れましたね。
物語をつくることに従事できた、尊い時間
──本にもありますが、ドローンを飛ばして風景を映している地元の人がいるとか?
瀬尾:ちょうどドローンが買いやすくなった時に、陸前高田は、山を削ってかさ上げ地に土を運ぶ、超大規模の復興工事をしていて。かつての街を全部壊して剥がした上に、新しい街をつくる計画でした。その時に、記憶の拠り所になる痕跡がかなり失われて、たぶん街の人は苦しかったと思うんです。でも、ドローンから俯瞰して見ると、山の形とかは同じだし、地図上のふるさとは変わらずある。ドローンの視点を借りてまで人はなつかしさを引き留めようとするのかと驚いたし、面白いなと思いました。現代の技術と人間の業のせめぎ合いというか……。

飛来の眼には/2018年
──SFの世界みたいですよね。
瀬尾: あと大きいのは、見張るってことです。工事の規模が大きすぎて、住民の視点だと何が起きているのかわからないから、それを俯瞰して見ておこうと。個人的には、かさ上げ工事の規模を決定した時期が早すぎたのではと感じていて。今できているかさ上げ地の70%程度(2019年4月時点での報道より)は利用が決まっていないみたいですね。それなのに工事は続いていく。だから、どんどん変わっていくことへの違和感みたいなものもあると思います。「復興」が名目だから、これまで違和感とか言いにくい空気があったけど、市長選で対抗馬みたいな人が出てきたり、これから始まる!感は強いですね。

──未来に向けて紡ぐ「物語」こそが人を動かすし、それがないと前に進めない。でも、それが正しいかどうかはわからない……。自然が起こしたことだけがリアルというか。その現実から前を向いて突き進むモードに入るまでの時間は、まるで夢の中みたいな感じもします。
瀬尾: たとえば、被災して間もない頃の高田には、被災したエリアを毎日うろうろしているおじさんがいて。話を聞いてみると、「みんな忙しいから俺が代わりにパトロールしている。そして、毎日ここにいる人たちに向けて祈っている」と言うんです。すごいことだけど、同時に、働かないの?みたいな現実もありますよね。でも、そんなおじさんがいることとか、そうしてもいい時間が尊かったりもする。だから、この8年間は、ある物語をつくることに従事できる時間でもあったんだと思います。それこそ、“あわい”にいる時間です。あの時、生きるか死ぬかというところにいた人たちが、昔のことも今のことも一緒に考えるために、必死で方法を探っていた。それはとてもクリエイティブな行為です。何もないところに花をいっぱい植えるとか、街の人は物語や風景をつくることを自前でやっていた。それがあるから今生きられている。彼らから学ぶことは多いと思います。
白か黒かでは決められない。
グレーを丁寧にすくいとる
──今は、すぐ先も読めない世の中じゃないですか。陸前高田の人たちは、何もなくなってしまったなか、生活を立て直すための支えとなる風景や物語をつくってこられた。わからない中で生きてく術を先行して開発してきた、ある種の最先端のような感じもします。
瀬尾: 方法とか術という意味では、「風景」と「弔う」ことが大きなトピックだと感じています。震災直後、風景がなくなった時に心も失われたという人が多くて。記憶って個人の頭の中にあるものだと思っていたけど、風景とか自分の周りのものに依存してできていると気づいたんです。それで、失われた風景を自分たちで試行錯誤しながら耕し直すうちに、記憶とか心が戻っていった。とても大事な気づきでした。もうひとつの「弔う」にも、工夫や所作がありました。いなくなった人、もう語れない人のことを思い続けることで、自分が生きている価値が生まれる。だから、「風景」と「弔い」の所作とが、物語をつくるのに大事なんだと。

──瀬尾さんは意図的に“あいだ”にいることを選んできたと思います。大文字の肩書とかざっくりした立場に当てはめがちな、今の風潮に対処する方法はありますか?
瀬尾: 個人にアクセスすることかな。例えば高田の人で、新しい街をつくることには賛成だけど、かつての街が失われるのはつらいってケースはよくありました。戻りたい気持ちはあるけど、そこにはもう住みたいくないと家族に言われてるとか。一個人の中でめちゃくちゃ引き裂かれている。その背景を聞けばどんな意見を持つ人のことも理解できるし、自分がどこにいたとしても、自分自身としての意見はもてます。そういうレベルでおしゃべりしていくことが大切だなと思いますね。
──自分の複雑さをもっと理解すべき、と。
瀬尾: そうですね。みんな“あいだ”にいるじゃん、みたいな。だから、おしゃべりはすごく大事(笑)。今って、自分の意見をすごく強い言葉で言わなきゃいけない風潮がありますよね。たとえば、フェミニズムも大事ですけど、自分は女性というアイデンティティだけで生きているわけでもないし、それを振りかざさないと生きられないのは苦しい。
高田の人も、みんながそれぞれ、壊れた自分の庭を直すように、失ったものの弔い方を考えてきたのに、外から見ると一律「被災者」の役割を課せられる。そういう大文字の役割の奥のレベルでおしゃべりしないと、つまんないし幸せになれないんじゃないかなって。

帰ってこれる/2017年
──SNS上の“おしゃべり”も?
瀬尾: やっぱり顔を突き合わせて話すのが一番ですけどね。表情とか間合いとか情報がものすごく多いですから。でも、SNSでも言葉の質を細かく丁寧にしていくことはできる。白か黒かだけじゃなくて、揺らぎも含めてきちんと伝えれば、ちゃんと話ができると思います。“あわい”は、どっちつかずのネガティブな状態じゃなくて、むしろ豊かでいい状態。この本にある“あわい”の言葉を、みなさんの生活に実装してもらえたらうれしいですね。

『あわいゆくころ――陸前高田、震災後を生きる』
瀬尾夏美 著 定価:2160円
東日本大震災で津波の甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市。絵と言葉のアーティスト・瀬尾夏美は、被災後の陸前高田へ移り住み、復興への“あわいの日々”に生まれた言葉を紡いできた。厳選した7年分のツイート〈歩行録〉と、各年を語り直したエッセイ〈あと語り〉、未来の視点から当時を語る絵物語で織り成す、震災後7年間の日記文学。