いい顔をしている俳優といえば、まず國村隼さんのことを思い浮かべる。状況によって悪人にも善人にも変化する捉えどころのなさがありながら、忘れられないその顔。人間かもわからない謎の〝日本人〟役を演じ、「國村さんが出てくる悪夢を見た!」という声も多かったというナ・ホンジン監督の『哭声/コクソン』。本作で韓国のアカデミー賞と呼ばれる青龍映画賞で男優助演賞と人気スター賞を受賞。意外にも、賞をもらうのは初めてだったとか。
「お客さんが選んでくれる賞だから、うれしかったですね。長いことこの仕事をしてるけど、1回も褒めてもろうたことない。初めて褒めてくれたのが韓国の人やった(笑)。いまだに街中でも、追いかけてきてくれて『國村隼氏ですね』となぜかフルネームで呼ばれます」
無名の役者だった34歳のときに、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』のオーディションになんとかこぎつけ、ヤクザ役でハリウッドデビュー。国外の作品にもためらわずに飛び込んでいくその姿勢は、大阪で育ったということも関係しているんでしょうか?
「確かに、大阪人気質というか、自分が興味と好奇心を抱いたらどこへでも行ってしまう。しかも、関西の人はひとりになることが割と平気みたいなところがあるからね。でも、国際、国内という感覚はあんまりないです。もちろん言葉や政治的な壁は世界どこに行ってもあることやねんけど、こと映画作りに関しては、どこで誰とやってもたぶん変わらないから」
最新出演作『KOKORO』では、自殺をしようとする人たちを思いとどまらせる元警察官のダイスケを演じた國村さん。ベルギー出身の女性監督ヴァンニャ・ダルカンタラ監督も、「Jun Kunimuraはミラクル」とぞっこんだ。
「よう上手に言うてくれて(笑)。ヴァンニャに会ったとき、お互いに気が合うてやりましょうとなったんです。第一印象ってよく言いますけど、特に言葉がコミュニケーションツールとして使えない場合のほうが、お互いにピタっと合うか合わんかがよくわかる。最初に目と目を合わせたときに、向こうの中にあるものがこちらのものとカチっとハマったというか」
弟の死をきっかけに日本を訪れる主人公アリスを演じたイザベル・カレとの共演が、ダイスケという役を形成していったのだそう。
「彼女は、お芝居とは言いつつ、自分の中に痛みがないと悲しめない人だし、うれしくないと喜べない人。それに近いものが僕にもあって、結局は、自分の痛みや喜びなんですよね」
喜怒哀楽の感情をどうコントロールするかは考えても、具体的な演技プランは一切ない。
「役は作るものじゃなくて、自分の中から染みてきたり自分で感じたりするものだから、どこか自身の根っこというのがやっぱり必要ですよね。まず、ダイスケという役だったら、たぶんこんな人だろうという漠然としたイメージを準備する。これはまだ輪郭がぼんやりしたデッサンのようなもの。僕の言い方だと、〝腹〟だけはブレないようにキープして現場に持っていかないかんけど。あとは、共演者や監督とお互いに影響し合って線が成立され、そこにだんだん色がつき、立体化されていくから」
そんなベテラン俳優の國村さんでも、芝居を始めた当初はガチガチに固めたイメージから抜け出せなくなってしまう経験もあったという。
「現場の作業と1人で準備するという作業については、いまだに試行錯誤の途中と言えば途中。まだまだ変わっていくかもしれない。ただコンクリートしなくなったことだけは確かですね。逆らいはしない。流れにまかせて、流される」
映画デビューしてから36年。本人曰く「数えたことない」そうだが、出演した映画は120本以上にのぼる。映画の現場は、さまざまな人間が出会い、複雑に絡み合うからこそ変化も大きい。自由さとしんどさとが介在する場所だ。だから、映画はやめられない。
「監督と呼ばれる人たちもそうだし、役者なんてとんでもないと思うくらい個性的。変人が多いよね(笑)。そして、ひとつとして同じ現場はない。同じことを繰り返すのが苦手なほうだから、どうなるかわからんほうが楽しいんです」