4月1日からスタートした、NHK連続テレビ小説『虎に翼』。春らしく爽やかなオープニング「さよーならまたいつか!」は、日本初の女性弁護士誕生のストーリーをどう彩るのか。自身初となる“朝ドラ”主題歌を書き下ろした米津玄師に、楽曲に込めた思いを聞いた。前編では歌詞について掘り下げる。
米津玄師、朝ドラ主題歌を歌う(前編)
「さよーならまたいつか!」に同居する、軽やかさと力強さ
──主題歌を手がけることが発表された際のコメントに「まさか夜中でばかり生きている自分が」とありましたが、オファーが来た時はどう思われましたか?
すごくびっくりしましたし、ありがたいことだなと思いました。朝ドラといったら本当に大きな枠。日本中でものすごく馴染み深く、歴史も長いので、自分がそんな立場になったんだなと光栄にも感じました。
──月曜から金曜まで、毎朝8時に流れる主題歌を作るにあたり、他の曲とは違う意気込みがあったのでしょうか?
そうですね、同じことをやっていても仕方ないよなとは思いますし。今回、曲を作らせていただくにあたり、過去の主題歌を聴き返したんです。もちろんドラマによってテーマやテンションも違うので、多岐にわたる表現がありましたが、ゆったりしたテンポで優しく歌う、鳴らす、バラードのような形の曲が多かった。だからこそ違うものをという気持ちと、『虎に翼』というドラマの性質の両方から、バラードではないと思ったんですよね。主人公の寅子があらゆる障害をぶち壊しながらずんずんずんずん進んでいく話だと感じたので、そういう力強さかつ軽やかな何かをこの曲は宿しておくべきだと思い、こういう形になりました。
──楽曲に対してドラマ制作チームから何かリクエストはあったのですか?
女性の地位向上の話を軸に進んでいくドラマの主題歌に、自分という男性が入ることにどういう意味があるのか、それは本当にいいのかという疑問を、最初に制作統括の方に確認しました。「ポップスという普遍的なものを作り続けている米津玄師に、時代を越えるイメージで、フェミニズムの世界だけにとどまらないような視点をもたらしてほしい」と言っていただいて。自分が適っているのかどうかは置いておき、なるほど、と。とはいえ、実際に作り始めたときに、やっぱり慎重にならざるを得なくて。客観的か主観的か、方法は2つあると思ったんです。前者を選ぶとしたら、多分「がんばる君へエールを」という表現になる。「頑張っているあなたは素晴らしいし、美しい。私はそれを応援しています」と。でも、自分の音楽の作り方から考えて、それだと女性を神聖視することになる気がしたんです。対象を祈ってしまうと、女神のように扱ってしまう。ただ、神聖視することと無碍に扱うことって、形は全く違うけれど根っこは一緒のような気がするんですよね。だから、少なくとも自分は主観的にこの物語を捉えるべきだなと。寅子の目線に立ち、同一化していきながら歌う。同一化というのもどこか暴力的であるのは間違いないのですが、どちらかを選べと言われたら、絶対主観的にやった方がいい、やらざるを得ないと。
──主観的な表現をする上で、具体的にされたことは?
自分の身の回りの人間から始めようと思いました。友達など、まわりに話を聞くべき女性がたくさんいたんですよね。彼女たちに今の社会を生きていてどう思うかを聞いていくと、人それぞれ違うけれど、何においても満足している人なんていなかったんですよね。大小はありますが、何か不利益を被っているという意識はみんなあって。そこに自分の体験や人生を照らし合わせ、その2つを混濁させていきながら、1つ1つ歌詞を書いたのを覚えています。
──「人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る」というフレーズがありますが、まさに米津さんの創作にも繋がる部分ではないかなと感じました。
その部分はドラマからものすごく影響を受けた部分でもあって。寅子とお母さんが二人で話すシーンがあるのですが、お母さんとしては、娘に幸せになってほしいから、若いうちに家庭に入ってほしい、それが当たり前で変な苦労もせずに済むと。それは愛情として言っているのですが、それを受け取った寅子は、「お母さんにとっては幸せの形かもしれないけれど、私にとっては地獄でしかない。だからその選択を取りたくない」と返す。その場面がすごく印象的で。実際自分も常日頃から同じようなことを感じていますし、自分には自分なりの地獄みたいなものがあるので、そこは共感を覚える部分だったし、歌詞に書きたいなと思ってこういう表現になりました。
Photo_Tomokazu Yamada Text_Mika Koyanagi