あるベンチを舞台に、人々の日常を時に可笑しく、時に切なく切り取ったオムニバス映画『アット・ザ・ベンチ』(11月15日公開)。監督を務めたのは、写真家としてGINZAとも縁の深い奥山由之だ。この自主制作による長編映画デビュー作に込めた、変わり続ける東京の街への思い。そして、映画作りを通して自身に芽生えたクリエイティブ面の変化について話を聞いた。
映画『アット・ザ・ベンチ』奥山由之監督インタビュー
古びたベンチから広がる5つの物語。「都会の喧騒の隙間にある“孤島”に惹かれる」

——今作は、奥山さんの普段の散歩コースにある、実在するひとつのベンチが舞台です。「変わりゆく東京の景色の中で、このベンチを作品として残したい」と企画したそうですが、その形式に映画を選んだのはなぜでしょうか?
これまで作ってきたMVやCMでは、その媒体の特性上、主体が会話になることはほとんどなかった分だけ、会話劇への憧れが強かったのだと思います。好きな映画にも会話劇の作品は多いですし、対話から立ち上がる情景を表現したいという思いがあって。そのためにはある程度の尺が必要になるので、自然と映画を選択しました。
——5つのエピソードで構成されるオムニバス長編作品となっていますが、その意図は?
1つのベンチであっても、多面的な表情を持っているはずなので、登場人物や物語が変わることで、同じ場所がまるで異なる場所に見えるような作品構成にしたかったんです。もともと、ジム・ジャームッシュの『コーヒー&シガレッツ』(03)とか、エリック・ロメールの『パリのランデブー』(95)が好きで、高校時代もオムニバス映画を自主制作していました。
——久しぶりに再会する幼馴染の男女、別れ話をするカップルと聞き耳を立てるおじさん、姉の家出をめぐって喧嘩を繰り広げる姉妹、ベンチの撤去を計画する役所の職員たち……とさまざまな人間模様が描かれます。奥山さんをはじめ各エピソードを執筆したのは、第一線で活躍する個性的な脚本家の方たちです。
最初に依頼した生方(美久)さんは、『silent』と『踊り場にて』というドラマを観た時に、書き手による言語に対しての興味関心を強く感じて、言葉を交わすことによる行き違い、またユーモアやリズム感のある語順へのこだわりなどから、会話を書くのがお好きなんだろうなと思いました。それで今回は、お互いに好意を抱いているが故にもどかしいふたりの会話を書いてもらえないかとお願いして。蓮見(翔)さんも僕らの世代筆頭の会話劇の名手で、ダウ90000の活動が始まった頃から創作を追ってきたのですが、「よく思いつくな……!」と驚くようなダイアローグを生み出す方です。根本(宗子)さんとは以前からプライベートでも親交があったのですが、やっぱり根本さんが書かれる喧嘩は、ただの言い合いではなく、その中にクスッとするユーモアが潜んでいたり、会話の中に心情描写が練り込まれていることで、心に沁み入る展開に繋がっていたりと、その言葉が物語において欠かせないことを実感することが多いので、感情渦巻く姉妹の喧嘩を書いていただきました。
——エピソードごとにカメラワークや演出が変わり、同じ場所で撮っているとは思えないほど新鮮に感じましたが、それぞれどのように決めていきましたか?
撮影場所が同じだからこそ、エピソードごとの物語に最適な撮影手法を模索しました。たとえば、生方さんの脚本は、登場人物をいとおしい眼差しで見つめるような、背中にそっと手を添えるような精神性が魅力のひとつだと思って。それで広瀬すずさん演じる莉子と仲野太賀さんの徳人という登場人物を後ろから撮影することにしました。第2編の菜々と貫太は別れ話をしていて、第1編のふたりとは真逆の関係性にあるので、1編のカメラ位置と相反するように、真後ろからのカットは真正面から、斜め後ろからの寄り画は斜め前から、というように1編と2編は対の撮り方をしています。根本さんに関しては、舞台作品を観ているといつも場所を広く使って、人物の動きをもってして物語を推進させていくイメージがあるので、今田美桜さんと森七菜さんが演じる姉妹の掛け合いをとらえる上でもまるで突風のような衝動的スピード感を活かして、カメラが手持ちで駆け回るように撮りました。僕が脚本を書いた第4編については、奇妙さを演出したかったので、必ず誰かしらの視点て捉えるということを意識しました。誰かが見ている、見られているという一人称の視点で、ベンチ目線、UFO目線、カメラマン目線、という3つの視点に限定して撮影しました。
Text_Tomoe Adachi Edit_Milli Kawaguchi