『衣裳術 2』と前著『衣裳術《新装版》』(リトルモア )が好評発売中の、北村道子さんによるトークショーが、去る1月後半に文化服装学院にて開催されました。集まったのは、文化服装学院の学生さんと一般の参加者。北村さんへの質問を参加者から事前に募り、それに応える形で進行した本トークの内容を、一部抜粋し前編、後編に分けてお届けします。
スタイリスト・北村道子が学生たちに語る、人生=暇つぶしの中で自分を楽しむ方法とは?【前編】
──北村さんは、どうやってスタイリストになったんでしょうか?
私の場合は、とてもユニークだから参考になるかわかりませんけど、私自身はスタイリストというものに全く興味を持っていないんです。たまたま彫刻のために1年間パリでうろうろしていたときに、フランス語の勉強をするより周りにある小さな映画館で映画を観ていて。それが、黒澤明の『蜘蛛巣城』だったんですね。当時は黒澤明を知らなかったので、日本の映画監督だとわかって、日本に帰ってみようと思った。そのときに飛行機の中で自分のシートでずっと落書きしてたの。当時、27とか28歳の私は金髪のモヒカンで、みんなが声を掛けるのを嫌がるタイプ。アナーキーだよね。そしたら、左隣にいる人が、「あなたは何をしてるの?」と聞いてきて、「何もしてないプー太郎です」と言ったの。27~28歳くらい頃よ。その人が、雑誌『宣伝会議』のエディターで、「君のルックスを見ると、スタイリングすることが合ってるんじゃない?」と、電通と博報堂の連絡先を書いてくれたの。それで、暇だから行ってみたら、ものすごい面接を受けたんです。その頃、電通、博報堂には会社専属のスタイリストというのがいたんですよ。彼らの話が私には退屈だったから、パッと手を挙げて、「私だったらこういう洋服でやります」って言ったら、「あれ誰?」となって、そこから、「あの子面白いから使ってみる」と私を指名してくれるようになった。その仕事を一生懸命やったら、なぜかそれを見た誰かから新しいオーダーが来て、それが今までずっと続いているんですよ。たまたまです。
──それがきっかけだったんですか?
いや、きっかけとかというよりも、人間っていうのは動物と違って、頭脳が発達したから働くという知恵が生まれたんだと思うのね。基本的に、人間は私は子どものときから、1日24時間の暇な時間をどうやって潰そうかというだけなんです。暇潰し。その中で自分をエンジョイするにはどうしたらいいのか。たとえば、学校自体のシステムが疑問だったら、学校に行く必要はないじゃないですか。学校を選ぶのも自由なんです。選んだ人が来てるんだし、好きな人が来てるということでいい。嫌だったら行かなきゃいいだけで。私は子どものときから学生服がある学校に行くのが嫌だと思ってて、そういうのを着ない。そうすると、学校側から「不良」とレッテルを貼られるじゃない。それを貼られたほうが自由だね。もう70歳だけど、この歳になってもその考え方は同じです。暇だから自分を高めるにはどうしたらいいかってことが好奇心じゃないですか。人を面白がらせて興味を持たせるにはどうしたらいいのかっていうのは、単純なことですから。私は基本それが全てなんです。
──学生のうちにやっておくべきことはありますか?
大いに遊ぶこと。私が言っている遊びは、漢字、カタカタ、ひらがなで違うんですよ。漢字の遊びは、知性を磨くこと。知性を磨いて遊ぶにはどうしたらいいのかがわからないときのために、先人がいる。簡単に言うと、ギリシャ哲学とかそういうものを読んで遊んでいく。遊んで哲学を自分のものにしていくことが大事だと思う。踊りたいだけでクラブで3時間しっかりアソブというのはカタカナのアソビだね。ひらがなのあそびは誰かと家族みたいにずっとお喋りをすること。「君、つまらない。(自分と)一緒だね」とか言って。日本人というのは、生まれたときから、「あ」から「ん」までのひらがなと漢字があるわけじゃない。簡単には造語を作れないでしょ。そういう先人が作ったものに興味を持つこと。自分自身が本当にその漢字が合ってるのかを考えるのが大事。私はけっこう使う漢字を変えちゃう。だって、私が北村道子だっていうのも、私自身が付けたわけじゃなく、両親が出会って、勝手に名前を付けたわけじゃないですか。だから、自分の氏名は実際に戸籍やいろんなものに使えるけど、私が遊ぶときは、私の名前を作っちゃう。クリエーションすることも大事なのよ。ミュージシャンが自分たちのバンドの名前を作っているのも同じ。この人たちはどういう人たちなんだろうと紐解いていったら、個人の名前が出てくるわけじゃない。私は全部そういうふうに分析をして遊んでいるタイプ。洋服も同じなんです。
──北村さんが影響を受けた雑誌や本を教えてください。
雑誌だったら、アメリカの『Interview Magazine』。残念なことに廃刊になりましたけどね。私は本を読むのが好きだし、40年やり続けている趣味ですが、ただ小説は読む気にならない。たとえば、一橋(大学)の阿部謹也が書いてることが面白いから、あの人の注釈を読んで買い占める。私の読書の仕方はそういう感じなんです。西田幾太郎も同じ。西田って私と一緒で石川県の生まれなんです、鈴木大拙も。新潮クレスト・ブックスだけは読むんだけれど、あれは小説というよりも移民文学だからね。むしろ比較人類学とかそういうものを小説として書いているんだなという解釈。今、私は新宿の文化服装学院に来ているけれど、私が実際生まれたのは石川県の金沢で、地方からセントラルの東京に出てきているじゃないですか。だから、私も日本でいう移民なんですよ。
──何かに迷ったとき、勇気が要るほうを選ぶためにはどうすればいいですか?
私、勇気というのがよくわからないんです。むしろ、勇気とは何か教えてほしい。勇気って日本語で書くと、勇ましい気と書く。勇ましいんだったら要らない。気ってエネルギーじゃないですか。そうだったら、金色の綺麗な気でいい。それに、私は勇気というのは、子どものときに捨てているんですよ。なぜなら、45年に戦争が終わった直後で、お父さんが暇だったのかセックスし始めて子どもをいっぱい作ったのが、私の時代なんですよ。当時は、旺文社テストという統一試験があったのよ。全国のどこの学校でも、校庭に結果が貼られるんですよ。だから、どれだけ私がいいことを言っていても、クラスの40何番かってわかるんです。出来が悪いのに出来がいいことをやってもしょうがないじゃない。一生懸命勉強すれば、みんな学校の勉強はできるんです。授業を全部ノートすれば、試験って受かるじゃない。私はそれをしなかったの。今だにスケジュール以外、ノートしたことないじゃないですか。自分自身が答えられるということよりも、応対ができるということを大事にするの。答えるなんて、とんでもないと思ってます。
──私は人の目や意見を気にしすぎて、臆病になってしまいます。意見が食い違って人が離れていくのは怖くないですか?
私の場合、初めっからみんな離れてるから。期待しないのよ。親からも、はなっから見捨てられてるから。今でもそうですよ。基本的に、ひとりで生きていたんです。でも、それを「孤独だ」って言ってしまったら、人間って生きていけない。それを言っちゃ終わりなんです。それをわかって、人は生きていかなきゃいけない、生まれたからにはね。お父さんとお母さんがちゃんと好きになって、セックスしたら子どもが生まれるわけだから。生まれたときは、自分が好きで生まれてくるわけじゃないのよ。死ぬときは、自分が死ぬわけじゃない。だったら、小学校で生物を教えてもらったときに、自分がどう死に向かって生きるのかを自覚しなきゃいけないですよね。よく、子どもが虐めるとか虐められるという問題を聞くと、「親も親」とは言っちゃいけないんだけど、虐められたら虐め返すってことじゃなく、虐められたらそれこそ笑う勇気よ。合気道や柔道を全部やって体幹を鍛えて、「君こんなことやって楽しいの?そんなに面白いんだったら俺をぶん殴ってくれよ」と言う。そっちのが面白くない?生きるってことは、そういうことです。
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北村道子
1949年、石川県生まれ。サハラ砂漠やアメリカ大陸、フランスなどを放浪したのち、30歳頃から、映画、 広告、雑誌などさまざまな媒体で衣裳を務める。映画衣裳のデビューは85年、『それから』(森田芳光監督)。07年に『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(三池崇史監督)で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞。著書に『Tribe』(朝日出版社)、『COCUE』(コキュ)、『衣裳術 2』『衣裳術《新装版》』(リトルモア)など。