人間の「感情」や「自意識」を専門に研究している脳科学者、恩蔵絢子さん。そんな彼女の母親が、65歳のときに「アルツハイマー型認知症」を発症。娘として、脳科学者として、葛藤する日々の記録を綴り、『脳科学者の母が、認知症になる:記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』を上梓した。誰にでもいつか訪れるかもしれない、認知症とその介護から見えてきたこととは。
“その人らしさ”ってなんだろう?認知症の介護からわかった、人間のアイデンティティ。脳科学者・恩蔵絢子インタビュー

──お母さまの異変に気が付いてから、病気の事実を受け入れるまでに、どんな心の変化がありましたか?
もともと母は料理も掃除も完璧だったし、とても社交的な人でした。でも、ひとつひとつできなくなっていって、大好きだったコーラスにも出かけなくなってしまった。最初は「え、なんで?」と戸惑い、怒ってしまう場面もありました。わたしは科学者になるために頭が良くなりたい、ひとつでも得意なことを見つけたいと思っていたので、自分の母親がすごく簡単なことさえできなくなってしまって、世界がひっくり返ってしまったような思いでした。そのときはすべてが受け入れられなかったですね。でも、父の言葉をきっかけに、価値観が変わっていきました。わたしが母のミスに対して強く怒ってしまったとき、「わざと間違えているわけじゃないんだよ。もともとそんなことをするような人じゃないんだから」と、父が言ったんです。できない、わからないから“ダメな人”になったのではない。なにかができなくなった“能力”と“その人らしさ”は別のことなんだ、と気付かされました。
──認知症の介護をするうえで、感情的にならずに忍耐強く接するのは一番難しいことのように思います。
わたしも、その出来事を境に本当にゆっくりゆっくり変わっていきました。憂さ晴らしに日記を書いて、自分の感情をとにかく全部吐き出してみたんです。たとえば、食事中に「チビちゃんはどこに行ったの?」と言われたとき、「なに言ってるの?」ってびっくりしたんですけど、“チビちゃん”っていったらわたしと兄が子どもだったときのことしかない。もしかして、母はそんなにわたしたちのことを大事に思っていたのかな、と気が付いていきました。怒ったり、驚いたりしたエピソードを、そのときの感情に任せて書き留めるんですけど、あとで冷静に読み返すと、おかしな出来事にこそ母がすごく大事に思っているものが見えてくるような気がしたんです。
──病状の経過も記録できるし、自分の気持ちを整理するためにも、日記をつけるのは有効な手段ですね。
すごくよかったです。自分にとって、こんなに辛い出来事って人生で初めてだったので。それまでは、認知症について文献を読んでも、治る病気ではないから症状が悪くなっていくことしか書いてなくて、明るい未来が描けなかった。もう、どうなっちゃうんだろう…っていう思いだったので、書くしかなくて書いていたんです。でもやってみたら、お医者さんよりもこれだけ身近に認知症を観察できる状況ってあまりないだろうなという気がして、母の病気と向き合えるようになっていきました。
──その人の能力ではなく、自尊心を尊重する。恩蔵さんが介護で大切にされていることは、仕事や子育てなど、どんな場面にも応用が効く普遍的な人との付き合い方のように思いました。
母を見ていて学んだことは、その人にスペースを与えるということ。正しいか、正しくないかで判断をしてしまうと、失敗することが〝ダメなこと〟になってしまいます。母には、わたしとは違う時間の流れがあって、わたしとは違う歴史があるから、母の基準に合わせた歩み方をする。そう考えるようになったら、他人に対しても寛容になれた気がしますね。
──自分にできることができない人を見ると、「なんであの人はできないんだ」と思ってしまうことってありますよね。そう考えるのは、相手にとっても自分にとっても、ストレスになってしまうだけなのに…。
自分が得意なことは、自分でやればいいですよね。その人がどういう場面で輝けるかを考えたいです。たとえば介護でいうと、うちの兄は少し離れた場所に住んでいて頻繁には来られないから、「なんでもっと来てくれないの?」と、怒ろうと思えば怒れる。でも、母にとって兄は稀人で、ときどき会えるからうれしい出来事になるんです。たまに来ることにも意味があるんだなと思います。
──ひとりっ子だから頼れる兄弟がいない、パートナーが協力的ではないなど、介護において家族の支えを得られずに辛い思いをしている人もいますよね。
それはありますよね。人には得手不得手があるので、みんなそれぞれ役割が違うんだと思います。うちでは、母と過ごす時間が長い父の負担がどうしても大きい。兄はあまり来られないけど、祭日に兄が父をゴルフに連れていくとか、直接介護に関わらなくても助けになることはいっぱいあります。母の友人たちも、変わらずに接してくださっている方がすごく多くて助かっています。疎遠になった方ももちろんいますが、でもそれはその方たちが冷たいわけじゃなくて。脳の専門家であり、娘であるわたしでも戸惑うんだから、当たり前のことで。なるべく大勢を巻き込んで、多くの助けを得ることが大事だと思っています。
──脳科学者なのに、どうして防ぐことができなかったのか、ご自身で苦しんだ時期もあったとか。それでも、科学者でよかったと思えることもありましたか?
認知症の記事を読むと、〈海馬が傷つく〉という脳に起こる症状や、〈徘徊〉をしたり〈物を取られる妄想〉を持ったりすることがある、とは書かれているんですけど、そういう症状って言葉にすると怖いですよね。でも、自分で書いた日記を読み返したときに、「あ、それってこういう脳の働きから現れているかもしれない」と、分析ができたんです。もともと脳が持つ特性から出てくる、誰にでもあり得る行動であるとわかりました。最初は、病気の予防もできなかったし、治せもしないことが辛かったけど、やっぱり知識を持っていてよかったなと思いました。
──恩蔵さんの専門は「自意識と感情」。普段は、どんな研究をされているのでしょうか?
以前は、メイクの研究をしていました。アイラインを引くとか、数ミリのことで人の行動が変わるのは、脳になにが起こっているのか。わたしたちはそこでなにを乗り越えているのか。自意識の在り方っておもしろいなと思っていました。わたしは学生時代に人目が怖くなってしまうような、自意識の強い時期があったんです。そういうこともあったから、認知症になった母を見ていて、母の“母らしさ”に気が付いたのかもしれません。それまでは、自分は肩書きを失ったらなにが残るんだろうって怖かったんです。たとえば、出身大学や肩書きを見て「こういう人」と判断されていたら、それがなくなったら終わりじゃないですか。でも、母にはいろんな能力が剥がれ落ちていっても残っているものがあって。それは、わたしたちに対してずっと持ち続けてくれている愛情とか、すごく信頼できるものでした。できないことが増えても、ずっと変わらない母がいることがわかったときに、やっと救われた気がしたんです。その人らしさってなにかというと“感情”なんですよね。感情も、ひとつの知性なんです。
──感情が「知性」とは、どういうことですか?
一般的に、感情的になる人はダメだと思われがちですが、本当は重要なもので。人間の意思決定の根底にあるのは感情なんです。たとえば、どっちのビールを買うかという場面があったときに、値段が安いからとか、味が好みだからとか、自分では論理的に考えているつもりでも、「値段」も「味」もひっくるめて最終的に決めているのは「感情」である、ということは脳科学的にも証明されているんです。
──「感情的になる人はダメ」というのは、自己中心的になったり、冷静な判断がつかなくなったりすることがあるからですよね。脳科学的な見地から、どうしたら自分の感情を良い形で発揮できるのでしょうか?
感情って、育てるものなんです。常に新しいこと、未知のことに接するというのがいい訓練になります。自分が感情を表したとき、それに対して他人がどういう反応をしたかをフィードバックする。こういう行動はよくないなとか、反省しながら記憶をしていくと、感情が細かくなっていって、次はどうしたらいいかという耐性がつきます。
──うれしいこと、楽しいことだけじゃなくて、ネガティブな感情も体験した方がいいですか?
もちろんです。たとえば新型コロナウイルスの問題なんて、誰もが人生初めての事態に接していて、こういうときって感情が大きく動くじゃないですか。いまはまさに人間の危機管理能力を育てる訓練をしてるんですよね。脳って新しいことを栄養としていて、未知のことに出会い、それを記憶して、次に同じようなことが起きても大丈夫にするっていうのが学習なので、良いことでも悪いことでも、新しいことで感情を動かすというのが一番の勉強なんです。それは、認知症になっても効果的な方法で。認知症の人も感情を動かして学ぶ力は持ち続けるし、音楽や芸術を受け入れる力は最後まで残りやすいといわれています。母といっしょに散歩をすると、「あそこに花が咲いてる」とか、わたしたちが見過ごしてしまうようなきれいなものを掴む力があることがわかります。記憶力や注意力が多少失われてしまうとしても、そういう感受性は残っているんです。
──感情を育てることは、自分が病気になっても、介護をする側になっても、生涯を通して幸せに生きる秘訣になりますね。
介護って、「この時間さえなかったら、もっと大事な仕事ができるのに…」って思うと、負担になっちゃうじゃないですか。わたしも最初は「どのくらい背負わなきゃいけないんだろう、この先どうなっちゃうんだろう」って考えていました。でも、その人を一番大切にしたいと思えるって、価値のあることだなって。そう発想の転換をできたことがすごく大きかったです。だから、“認知症になっても、その人は変わらない”っていうことを伝えられたら、みんなももっとこの病気を受け入れられるようになるんじゃないかな、と思っています。
『脳科学者の母が、認知症になる:記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』
恩蔵絢子 著
定価¥1,815(税込)
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恩蔵 絢子
1979年神奈川県生まれ。脳科学者。専門は自意識と感情。現在は、金城学院大学、早稲田大学、日本女子大学で非常勤講師を務める。著書に『化粧する脳』(共著/集英社新書)、訳書に『顔の科学─自己と他者をつなぐもの』(PHP研究所)、『IKIGAI─日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣』(新潮社)がある。