上京して6年目、 高層ビルも満員電車もいつしか当たり前になった。 日々変わりゆく東京の街で感じたことを書き綴るエッセイ。前回はこちら。
シティガール未満 vol.8──東中野

昼過ぎに起きてスマホを見ると、「お誕生日おめでとうございます!」という件名のメールが届いていた。差出人は洋服の青山。大学の入学式用に母がスーツを買ってくれた時に登録したものだ。リクルートスーツとしても使えるように無地の黒を選んでくれたが、ほとんど着る機会がなくクローゼットの奥に眠ったまま、私は24歳になってしまった。
これ以外には誰からも連絡がない。昨日は年齢が増えるほど人生の選択肢が減っていく社会の現状に怯えていたが、友達も減っていくのを実感する。
20歳くらいまでは当日にメッセージを送ってくれたり祝ってくれていた数少ない友人からも、徐々に祝われなくなった。
友人でも恋人でも、祝われたら喜ばなければならないというプレッシャーで緊張してしまい、上手くリアクションを取れないという理由で、なるべく誕生日を人に教えず祝われることを避けていたらこうなったのだ。自分が望んだはずの状況なのに、いざ誰からもLINEすら送られてこない誕生日を迎えてみると違った。人知れず歳をとる寂しさと、それまで生きてきたことが報われないような虚しさを知り、去年あたりからは避けるのをやめたが、もう遅かったのか祝われることは増えず、この有り様だ。
当然誰かと会うような予定もなく、せめて自分で自分を祝うためにある喫茶店に足を運んだ。
JR東中野駅の東口を出て徒歩30秒、この辺りでは人気の純喫茶「ルーブル」の向かいにある「珈琲茶房 珈琲館」。チェーンカフェの珈琲館と同じ名前だが、おそらく無関係だ。昔ながらの小さな喫茶店なのに、入り口が自動ドアというアンバランスさが味わい深い。
ここには数ヶ月前、近くのミニシアター「ポレポレ東中野」に行った際に立ち寄ったのが最初だった。
私はオムライスが好きで、初めて入ったお店にオムライスがあればとりあえず注文することが多いのだが、ここのオムライスは一口食べるやいなや思わず泣きそうになってしまった。なぜか、母が作るオムライスにそっくりだったからだ。
子供の頃、好きな食べ物を聞かれたら真っ先にオムライスを挙げていた私は、毎日母に「今日の晩ご飯何?」と尋ねてはオムライスと返ってくれば歓喜し、毎年誕生日には母がオムライスと唐揚げとショートケーキを作ってくれていた。
それが中学生か高校生くらいの頃から、誕生日は家ではなく外食をするようになり、大学進学を機に上京してからは誕生日を家族で過ごすことがなくなったため、母のオムライスを食べることもなくなった。
最後に母のオムライスを食べた誕生日から、10年くらいは経つだろうか。
久しぶりに誕生日にお母さんのオムライスが食べたい。いや、厳密にはお母さんのではないが、勝手ながら“おふくろの味”と呼ばせてもらおう。そのために今日は来たのだ。
しばらくして、花柄の平たいお皿に盛られたオムライスが運ばれてきた。
まず見た目が似ている。全体にしっかり火を通した卵にケチャップをかけただけの、昔ながらのシンプルなオムライス。卵の厚みのムラや無造作な包み方、その上にかかったチューブのケチャップが家庭的な印象を与える。
そして味もやはり母のオムライスと同じだった。
実家を出る数日前、母がオムライスの作り方を実演しながら教えてくれたのを思い出す。チキンライスは塩コショウとケチャップだけの基本的な味付けだったが、どういうわけか私が何回その通りに作っても同じ味にならないというのに、完璧に再現されている。
食べ進めていくと、ケチャップの下に少しだけ卵が破れた部分を発見して驚く。卵はちょっとくらい破れてもケチャップで隠しちゃえばいいの、と確かにあの時の母は笑っていた。
店を出てすぐ帰るのももったいない気がして、東中野銀座通りを散歩する。大学1年の頃に中野に住んでいたので時々東中野にも来ていたが、中野よりも落ち着いた、夕暮れの似合う街だと改めて思う。
そういえば、当時何度か散歩中に通りかかって気になっていたケーキ屋があった。
東西線落合駅近くの、特に何もない早稲田通りを歩いていくと突如現れるそれは、思わず目を引かれる異質さを放っていた。「アンドロワ」という金色のレトロなフォントが浮かぶガラス張りの前面がまるで店自体をショーケースのように見せ、かなり年季の入った店内にはインスタ映え文化と逆行する彩度低めのシンプルなケーキが並ぶショーケースと、小さなテーブルと椅子がひとつずつと、なぜか壁際には大量のレコードが詰め込まれた棚があった。いつ見ても店内に誰もいないのがまた、そこだけ時が止まっているかのような異空間を思わせた。
数年ぶりに行ってみても何も変わっていないことにほっとしながら入ってみると、奥から店主らしきおじいさんが出て来た。ケーキの価格帯は150〜300円と激安で、中古レコードは“3枚1,000円”と書かれている。
昔から営業しているのだろうが、ケーキとレコードが買える店、というと一周回って今時のオシャレな店っぽいなと思った。
150円のフルーツタルトを買うも、保冷剤の要否も聞かれずそのまま紙袋に入れられ、仕方ないので神田川沿いのベンチで食べることにした。
隣のベンチでは中年男性が1人でカップ焼きそばを食べている。こういう人を見るとついバックグラウンドに思いを馳せてしまうが、夕方の神田川でケーキを貪る24歳の女も端から見たら相当奇妙だろう。
フルーツタルトは甘さ控えめで素朴な味だった。メロンを噛むと思った以上に溢れた果汁が、やたらと身体に染み入る気がした。
昔は誕生日なんて取るに足らないものだと思っていた。だがたとえLINEメッセージひとつでも、そこに人の温もりは確かに存在する。
それに、わざわざ祝ってくれるということは少なくとも嫌われてはいないということがわかるし、逆に言えば祝うことは相手に対する好意の表明となる。誕生日を祝い合うことはコミュニケーションでもあるのかもしれない。
そんなことを考えているとようやく気が付いた。
誰にも祝われないのは、祝われるのが苦手だからとか誕生日をあまり教えていないというだけでなく、単に私が人の誕生日を祝っていないからなのではないか。
そもそも誕生日という概念自体にあまり興味がないというのもあったが、祝ったら祝い返されるだろうと思って避けていたのだった。
それなのになぜ未だに待っていれば祝われると思っていたのだろう。与えられることしか考えていない自分の図々しさが身に沁みる。
きっとこのままだとどんどん人が離れていってしまう。ひねくれるのはもうやめよう、と決意を新たにする。
リハビリがてらに来年の誕生日は実家に帰ってみようか。そしたらまた、あのオムライスを作ってくれるだろうか。
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絶対に終電を逃さない女
1995年生まれ、都内一人暮らし。ひょんなことから新卒でフリーライターになってしまう。Webを中心にコラム、エッセイ、取材記事などを書いている。
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