フレグランス界を牽引する才能の一人、リン・ハリスが来日。自身のブランド〈パフューマー H〉を現在日本で唯一取り扱う「アーツ&サイエンス」店舗にて、香りにまつわる物語を聞いた。
調香師リン・ハリスに聞く、自然を香りに訳す仕事
〈パフューマー H〉に見る温かな洗練
ある小春日和、「A&S AOYAMA」でリン・ハリスに会った。彼女が作るの香りを一言で表すなら、洗練。といってもそれは、都会的な冷たさではなく、美しい風景だけが持つ無駄のなさに似ている。調香師自身の佇まいも、彼女の作る香りと同じように、凛としている。
リンはイギリス・ヨークシャーで生まれ育ち、調香師学校入学のため渡仏。その後は香水の都・南仏グラースでキャリアを積んだ。英国に戻って〈ミラー・ハリス〉を創設、人気ブランドに育て、現在は〈パフューマー H〉で自身のクリエイションを追求する。
「グラースは、まるで世界から忘れられたかのように伝統が息づいている土地。良き師に恵まれ、何よりも野原に囲まれた街の美しい風景に多くを学びました。その記憶を活かしながらより自分自身を象徴する製品を作りたいと思い、2015年に〈パフューマー H〉を立ち上げました」
〈パフューマー H〉の製品名には、「ベルガモット」「雨雲」「レザー」といった言葉が並ぶ。そのどれもが、シンプルなようでいて背景に繊細な要素の重なりを感じさせる。
「私にとって調香するとは、自然を私なりの方法で翻訳していくことなんです。香りによって感じた美しいエナジーを再現すること、経験を自分の手で作り直すこととも言えます」
そこには、子供時代を過ごしたヨークシャーの思い出も息づいている。
「大工だった祖父の家の周りでは、いつも植物や動物の匂いがしました。朝には祖母が焼いたパンの香りが家中を満たしたものです。そういった環境を通して私は “嗅覚的目覚め”を得たのだと思います」
彼女の香水にはどこかノスタルジーが潜んでいて、誰もが思い当たる「経験」が織り込まれている。たとえば、「インク」という香水は、紙にペン先からインクが染み込んでいく匂いの記憶を表現したものだという。リンは、それがふと見た風景であれ日常の仕草であれ、何気ない瞬間を丁寧に掬い上げる。そして香りという新たな媒体に生まれ変わらせていくのだ。
そんなリンの感性と「アーツ&サイエンス」創設者ソニア・パークの発想が出合って生まれた香りが、「ウッド ランド」だ。
「知人を通してソニアと知り合い、すぐに意気投合、パフュームを作ってみないかという話になりました。森林というアイデアは、『東京には緑が少ないから、木や森を感じられるものはどうか』というソニアの提案から生まれました」
ひと吹きすると柔らかなウッディノートが立ち上り、その後ろには湿った木肌や露に濡れた苔が広がる。爽やかなのに温かみもある青々しい香りだ。
「都会にいながらも身にまとえる『聖域』をイメージしました。香りは、忙しい日々からエスケープする場所ともなりえるんです」
そうリンが話す通り、息をゆっくり吸い込むと、神聖な森に迷い込んだような心地になる。
パーティのためにつけるのではなく、日々の一瞬一瞬を豊かにするためのプロダクトを作る〈パフューマー H〉。
「日本と欧米ではパフュームの文化に差がありますが、気負わずに毎日の生活の一部として取り入れてほしいと思っています。香りは、まとう人自身を表す存在ですから」
ℹ️
Photo_Wataru Kitao Text_Motoko KUROKI