──ファンの間で、1988年の映画『MOMOTARO FOREVER』が伝説化しています。
荻野目 瀬戸大橋博覧会の会場だけで公開されたショートムービーだったので、ご覧になった方は限られるかもしれませんね。私がなぜか桃太郎の役で、衣装がワダエミさん。歌って踊って鬼をやっつける3-D作品で、今見てもかっこいいし、クオリティも高いんですよ。
──それは、ぜひいつか上映会をやってほしいです(その後2024年に実現)。この年は、ナラダ・マイケル・ウォルデン(注1)がプロデュースしたアルバム『VERGE OF LOVE』も話題になりました。
荻野目 ナラダさんとのアルバムも苦労しました。英語詞も歌いこなさなくてはいけないし。LAに行ってみたら音域が私のレンジより広く設定されていて。しかもデモテープを聴くと、それこそホイットニー・ヒューストンのような実力の方が歌っていて、そのまま世に出せそうな感じ。この国には、こんなレベルの人がゴロゴロいるんだと思い、私なんてヒットチャートにランクインしたからって、なんてちっぽけなんだろうと。
──ヴォーカル録りはどれくらいの期間で?
荻野目 約2週間。たくさんの制作費がかかってるし、短期間でちゃんとしたクオリティに仕上げないといけないので、ホテルの部屋で一人の時も必死に練習しました。もう言葉にならないくらいのプレッシャーで。
──歌もPVもかっこよかったです。
荻野目 本当にあの年齢、あのときだからできたお仕事でした。
──それにしても、小学生の荻野目さんを発見した平社長はすごいです。(注2)
荻野目 「声」だけは信じてくれていたみたいです。自分ではよくわからないんですけど。社長は、ここだというところを信じて賭けられる人なんですよね。これは後輩たちも同じだと思うんですけど、その思いに応えて本人もがんばらないといけない。でも片方の思いが強すぎてもいけないし、社長に応えるためだけに私達も生きているわけではない。音楽が好きだからこそ仕事を続けているので、そのバランスが取れずに折れそうになることもありました。
──そういうときは、どうしたんですか?
荻野目 違うジャンルの方とお話しをする機会を大切にしていました。発見も多いし、リセットできるんです。
──その2で「アスリートで言うコーチ」という言葉がありましたが、そういう視点は、プロ・テニスプレーヤーだったご主人の影響も大きいのですか?
荻野目 そうですね。主人は昔から音楽好きで。テニスでアメリカに遠征しているときも、毎週ビルボードのチャートをチェックしてCDを買いあさっていたんです。だからレストランで食事中もBGMを解説してくれたり、「今度こういう曲もいいんじゃない?」と。
──堀越学園の同級生とは、今も交流が?
荻野目 たまに食事会をしますよ。井森(美幸)ちゃんや(森口)博子ちゃんと話すと、純粋にあの頃に戻れるし。うまくいかなかった時期もお互い知っているので。そもそも主人も堀越ですから。
──当時の『月刊平凡』を読むと、アイドル時代に海外で短期ステイをしたことも。
荻野目 事務所の方針で、ニューヨークやLAに行かせてもらいました。ニューヨークではダンスのレッスンも受けたり。よく覚えているのがバレエのクラスに参加したときのこと。ミハエル・バリシニコフ(注3)さんが普通にいらして、一般の方に交じって調整されていたんですね。
──世界的なバレエダンサーの?
荻野目 そうなんです。私は初心者クラスのつもりでブッキングしてもらったのに、手違いで上級者クラスで。それで、恥ずかしさで怖じ気づいてしまって。でも、よく見たら誰もそんなことを気にしていないし、初心者をバカにすることもない。自分が好きなバレエをやっているだけなので気負いもなく。LAでも「恥ずかしいってどういう意味?あなたは何を表現したいの?」と。日本ではそんなことを深く考える時間もなかったので。
──まさに海外ならではですね。
荻野目 あれは勉強になりました。それ以来、何事も恥ずかしいと思う前にチャレンジするようになり。この前それを伝えたくて、スクランブル交差点で子供達に「私、今ここでも歌えるよ」と言ったら、「マミー、やっぱりそれは恥ずかしいからやめて」と(笑)。
──素敵なご家族です。ご主人とのなれそめは?
荻野目 高3の補習授業で一緒になったときに、友達に紹介してもらったのが最初。お互いの仕事も全く知らなかったので、不思議と自然に仲良くなれたんです。ちなみにそのとき紹介してくれた子は、いま芸能事務所の社長になっているんですよ。
──みなさん道を切り開いていますね。交際は順調に?
荻野目 しばらく交換日記をしたり電話をしたり。それである日、ハッピーなテンションのまま社長に「私、好きな人が出来ました!」と明るく報告したら、サァーっと顔色が変わって。「今は、仕事を取るか恋愛を取るか決めなさい」と(苦笑)。
──それでどうしたんですか!?
荻野目 泣く泣くお別れしました。
──一般人の考えで言うと、事務所にも内緒にするという考えも浮かびますが。
荻野目 いや。変な形で表に出ると、結局お世話になった方達に迷惑をかけるので、あのときはあれでよかったと思います。その後15年して、それぞれいい大人になった時期に、同じレストランに通っていることがわかって。
──運命の再会ですね。
荻野目 私、人間関係でいつも思うんですが、出会える人とはまた出会える。でも、バブルの頃につながりがあった人で、今も関係性が続いている人はほんの少し。あの頃、頭上で大金が飛び交っていたかもしれないけど。結局お金って残らないじゃないですか。残るのは人とのつながり。だから、スタッフだったり友達だったり。純粋な気持ちで向き合える縁を、ずっと大事にしていきたいんです。
──最後に、今後やってみたいことは?
荻野目 少し前にクラシックのコンサートに参加させていただいたんですが。もう人生を半分越えたので、これからはジャンルの枠を飛び越えて楽しんでいきたいですね。イメージを決めず、自由自在に。