ライター水原(以下M) トップアイドルが全曲英語のアルバムを出すのは画期的でした。聖子さんが洋楽アーテイストになったような新鮮さがあって。
若松さん(以下W) 確かに聖子のキャリアにとって大変プラスになった作品だと思います。海外の一流クリエイターと一緒にニューヨーク・レコーディングをしましたから。でも聖子は当初「若松さん、どうして私アメリカに行くんですか?」と成田で言っていたくらい、あまり関心がなかった。当時私が厳しかったから、最初は仕方なく行く感じだったのかもしれません。
M そうだったんですね? でも行ってみたら楽しかったんでしょうね。
W このアルバムをきっかけに、いろんなチャレンジを始めていきました。
M お話はどうやって決まったんですか?
W 前年の春くらいに私がふと思いついて。信濃町のスタジオでアルバムをレコーディングしているときに、聖子がアメリカで歌いながら踊ってるイメージがパッと思い浮かんだんです。いま出したら面白いんじゃないかとね。聖子はアクティブでキュート、アメリカっぽいところもあるから。
M もしかしたら『Tinker Bell』のレコーディング中でしょうか? アップテンポなら『密林少女』?
W だったかもしれない(笑)。すぐにCBS・ソニーの洋楽部長だった大西泰輔さんに相談したら、フィル・ラモーンが合うんじゃないかと推薦されて。
M ビリー・ジョエル、アレサ・フランクリン、サイモン&ガーファンクル、ポール・マッカートニーも手がけた方ですよね。
W ビリー・ジョエルとも大ヒットアルバムを何枚も作っていましたから。そしたら、あまり時間を置かずして返事が来たんです。「若松ちゃん! フィル・ラモーン、やってくれそうな雰囲気なのよ」と大西さんから。
M 80年代の業界話は聞いてるだけでワクワクします。何回くらいニューヨークに行かれたんですか?
W 4〜5回かな。最初に私だけフィルに会いに行って、一緒に曲を選んだんです。彼がボストンバッグいっぱいにカセットテープを持ってきてくれて。裸のままでプラスチックケースにも入っていないテープを。どれもいい曲だったから、いま思うとある程度選んでくれていたのかもしれない。
M フィル・ラモーンはどんな方でしたか?
W 穏やかでインテリジェンスに溢れ、鋭く、懐も深い人でした。でも英語の発音には厳しかったよねー。だからレコーディングもじっくり時間をかけて。聖子もよく頑張った。もともと聖子は耳がいいんだけど。『imagination』という曲でも、「イマジネーション」と発音すると「No No! イマジュネイション」という感じで指摘がある。単に発音だけでなく歌の中での自然な節回しもフィル自身が指導してくれていました。
M 聖子さんは1984年の夏にハワイに短期留学されていましたよね?
W その前から実は英会話スクールに通っていたんです。勉強になるからと私が薦めてね。あと、私の知り合いにインターナショナルスクールに行っていた女の子がいて。学校帰りによく聖子のところに遊びにきてくれていたんですよ。だから話しているうちに自然と英語も上達して。その辺の勘の良さも聖子の才能でした。
M 当時は『フラッシュダンス』や『フットルース』といった洋画のサントラが大ヒットしたり、マイケル・ジャクソンの『スリラー』と共にMTVが台頭して。今でこそ一般的ですが、映像が音楽に欠かせなくなっていった時代でした。何かそこから刺激を受けたことはありましたか?
W いや、それはなかったね。ただただ、そのときどきの聖子に合う曲を考えていたから。本当にそれだけだったんです。