バングラデシュにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
シャラ ラジマ「オフレコの物語」vol.7
ヨーロッパ紀行〜ベルリン編〜
ヨーロッパ紀行〜ベルリン編〜
前回の記事をお読みいただいた皆さんはご存知の通り、そんなこんなありつつ英語環境との接触の機会を得た私。しかし最大でも二週間しかその環境を経験したことがなかった。コロナ中、イタリアにいる彼氏のお父さんは私の「お義父さん」にもなったため、コロナが落ち着いた夏に挨拶に行ったのだ。久しぶりの英語圏の環境をできる限り引き伸ばそうと、スケジュールが許す限り私だけは一カ月ヨーロッパに残った。イタリアから向かった先は、数人の友人が滞在していたベルリン。目的はベルリンから数時間の都市カッセルで行われていたアートイベント「DOCUMENTA FIFTEEN」だ。他にもこの夏はベネチアで行われていた「ベネチアビエンナーレ」もあったが、四年に一度であるドクメンタを目指して多くの人がベルリンにいた。私は着いてすぐに、東京のクラブでよく会うDJの友達とベルリンの道端で遭遇しほぼ東京かよと驚いた。ちなみにこの友人とはカッセル行きの特急列車でもまさかの後ろの席だった。衝撃。
ベルリンではドクメンタに行く予定のキュレーターの友人と会っていたため、彼の繋がりのアーティストやギャラリーの人などと会うことがほとんどだった。彼は日本人だが英語、というか言語能力が天ほど高いのでその英語は聞いているだけでも勉強になる。もちろん私の日常会話程度の英語の言語レベルでは、この環境に到底太刀打ちできないため、普段のマシンガントークシャラは封印し、聞き役に徹した。マシンガントーク系でありながら聞き役もできるトライリンガルもめっちゃかっこいいかもしれない。
稀代の円安で疲弊していた私の財布にも、ベルリンはとても優しい都市だった。アーティストたちの選ぶお店もリーズナブルで、多様な食文化に溢れるエスニックな料理たちに、お財布はそれでもギリギリだったがお腹も心も満たされた。覚えている限り、食べたご飯はモロッコ料理、ギリシャ料理、パキスタン料理、中東系?トルコ料理など、やたら地球の真ん中くらいの緯度の国のご飯たちだった。最終日に一応ドイツ料理をということでソーセージとビールも食べに行きつつ、様々な国の料理で溢れているベルリンという都市へ共感もした。
現地で情報を仕入れながら突き進むわたしの旅、ベルリンでは最終的に住民が行くような安めの蚤の市にたどりつく事ができた。蚤の市ではほとんど一般の人たちが古着などを売っていて、商売っ気というよりは譲り合いのムードだった。そこで私はかわいい洋服を着ていた住民風のお姉さんに目をつけ、なんとなく後を付けて行ってみたらおしゃれで可愛いお姉さんたちは3人くらいで洋服を出店していた。メルカリで洋服を探す時も感じるが、やはり人間のセレクトにAIは一生及ばないのではないかと心の底から思う。おしゃれな人の持ってる古着はたとえ売り払うものでさえ、これ売っちゃっていいの!?というほどかわいいものばかりだった。その中から古着のライトパープルカラーのレザージャケットをなんと20ユーロでゲット出来たことの功績は何物にも変え難い経験だった。
そしてベルリンへ行くたびに必ず締めに寄るこちらののジェームズ・タレルの教会。ここは一年を通して日没の一時間前からタレルの光のインスタレーションを行っている場所だ。教会の外では刻々と落ちる太陽によって空の色は変わり続け、その影響で室内の光のインスタレーションも自然とその表情を変える。その光景は読んでいたレヴィ=ストロースの本に書いてある言葉を想い出させた。夜明けである暁は始まりでしかないのに対して、夕暮れである黄昏は一日を繰り返してみせる物語でエンドロールであるという。自然現象を科学的な観点から見ると太陽の上り下りでしかないこの現象を、時制を感じる生命体に生まれたから感じることができる物語かもしれないと心の深くで繋がって感じた。私のまなざしは物語の終わりを見つめ続けた。毎度の旅の終わりを締めくくるこのインスタレーションを作ったジェームズ・タレルはきっと同じ本を読んでいる。確実に。
Photo&Text:Sharar Lazima