バングラデシュにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。今回は2022年夏にドイツで行われた国際美術展「ドクメンタ」について。
前回記事▶︎「vol.7 ヨーロッパ紀行〜ベルリン編〜」はこちら
ヨーロッパ紀行〜ドクメンタ編〜
バングラデシュにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。今回は2022年夏にドイツで行われた国際美術展「ドクメンタ」について。
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旅行記にしては、みなさんに申し訳ない。有益な情報がほとんど転がっていないですね。個人的な感想しか述べていない、誰得でもない文章を綴らせていただけて感謝しています、ギンザ編集部のみなさま。
ドクメンタの話に入る前に一つだけ強く明記しておきたいことがある。ヨーロッパの夏の気温は近年地球温暖化の影響で、これまでの長い歴史のなかでは予定していなかった暑さに達している。予定していなかったから、約39度の灼熱の中、どうにか涼もうと思ってカフェに入ってもエアコンがないのだ。どこかほかにエアコンはないかと探し、さすがに美術館は富の象徴だしと思って入って一息つこうと思っても、ないのだ。とにかくなんと39度の真夏でもエアコンがなかったのだ。この過酷な環境を想像できるだろうか?
真夏のドイツ北東の都市カッセルは陽が長く夜の9時ごろまでは明るい。そんな中ドクメンタの様々な会場をレンタルチャリで爆走したのだが、陽の長さもあって、1日が何日ものように感じられた。この世に夜は訪れないのか?と汗水垂らしながら漕ぎ続けた、アート系かと思いきやまさかのスポーツ系の夏。アートはおしゃれさなんかとはほど遠い、汗くさく泥臭いものなのかもしれない。
アートについて私はもちろん詳しくない。脚を動かして、目で見て手で感じて、人との会話の中で得た知恵による自分の解釈と経験しかない。特に海外のアートフェアでは、もちろんキャプションも英語なので、言語的解釈にとらわれすぎずに作品そのものをみることもできたのは思ってもみない現象だった。
ドクメンタで特に印象に残っていた作品はこのベトナム人のアーティスト、Nguyen Trinh Thiによるインスタレーションだ。暗い石の洞窟のような空間、その壁面には植物の影が投影されている。これはベトナム戦争の記憶を表現した作品であるらしかった。とにかく信じられない暑さの中で遭遇したこの作品は第一にその涼しさが身に沁みた。第二にその空間の冷たさと静けさによって、キャプションを読むよりも前に厳かな気分にさせられた。アトモスフィアとこちらの感情さえ操るその作家性はかなり突出したものだったと強く感じた。
キュレーターの友達と行ったことで様々な解説も受けられたこのドクメンタは、アート的には凡人である私にはとても贅沢な経験だった。滞在中のある夜、その縁でありがたいことに今回のキュレーターであるルアンルパの皆さんと世界中から来た様々な人との炊き出し的な?パーティーに参加することができた。カッセルの現地で紹介してもらったキュレーターさんは、会って数時間の私のマシンガン質問にも丁寧に答えてくれた。今回のドクメンタのテーマについて詳しくはググって欲しいが、彼の説明で、私の心の中に残った言葉は「unlearning」だ。この言葉は「学びをほどく」というような意味になるが、そこには西洋中心に体系化されてきた「公的な知」をほどき、解体し「オルタナティブな知」を生み出そうという考えが組み込まれている。自分が今まで得てきた知でさえ、というか知や勉強さえ西洋中心に体系化されていたという衝撃とその知によって自分は今「unlearning」という概念を理解することができるパラドックス的な感覚、両方が同時に襲ってきた。そんな我々の認知の外の概念をこの強度で提示することは、インドネシアのコレクティブであるルアンルパにしかできなかったことだなと感嘆した。
東京のご近所で仲良くなった久保田麻琴さんは70年代の日本の裸のラリーズというバンドのメンバーだった方だ。ご存知の方は多いかもしれないが、彼は民族音楽に明るいどころではない人なので、非西洋圏の島々のカルチャーについても詳しい。私はいつも世界中の音楽や文化のことを彼に教えてもらうのだが、実はインドネシアには国会で黒魔術規制法が施行されるほど魔術的な一面があり、突出した色彩感覚を持っているらしいと以前からきいていた。実際にインドネシアは世界中から映画の色補色(カラーコレクション)の依頼が集まるらしい、ということも耳にしたことがあったので、今回のドクメンタと合わせて民族における圧倒的なクリエイティビティを勝手に、強烈に感じた。
もう一つ印象が強かったのが、ハイチのコレクティブだ。ハイチの土着の神話のムードを纏って、それこそオルタナティブな知性が生み出したような作品たちはビジュアルの美しさも圧倒的だった。ハイチという土地に全く明るくない私だったが、土着の死生観と植民地時代、革命、流入したカトリック的な宗教観という激しめの歴史を持つ、多くの要素が混じり合った土地を感じられる展示だった。東洋でも西洋でもない第三世界的なところにルーツを持っている私にとって、これらのオルタナティブな美学は斬新であり、なぜか懐かしささえ感じさせた。
Photo&Text:Sharar Lazima