あるとき、ふと、海外に住んでみたくなった。NYで自分の好きなこと、そして、自分の居場所を見つけたあの人たち。その道のりは、いったいどんな感じだったのだろう。きっと、そこには不思議なチャンスや必然的な出会い、泣きたい日だってあったに違いない。NYで活躍する日本人たちの軌跡を追ってみよう。
ヘアサロン「VACANCY PROJECT」細野まさみ/私を変えたニューヨーク vol.2

平日の昼下がり。マンハッタンの東側に位置するイーストビレッジの住宅街。その半地下にあるガラス張りのサロンの中に、スタッフと談笑している彼女の姿を見つけた。
本屋、カフェ、クラブ、ギャラリー、レストラン、飲み屋…、B級から高級まで、いろんなものがひしめくこの街には、文無しからお金持ちまで、多種多様な人々を惹きつける不思議な磁場が渦巻いている。
「はじめまして」と、すっとスツールから立ち上がった彼女は、思っていたよりも背が高かった。170cmほどあるのだろうか。無造作なショートヘアが、本当によく似合う。
一目見て「なるほど」と思った。なぜ、彼女は人を惹きつけるのか。いまの10代、20代の感度の高いニューヨークのストリートの若者たちが、彼女に憧れ、繋がりたがる、その想いの片鱗を垣間見たような気がした。
ジェンダーニュートラルサロン『VACANCY PROJECT(ベーキャンシー・プロジェクト)』のクリエイティブディレクター、細野まさみ。同店のトップ・ヘアスタイリストとしてだけでなく、LGBTQアクティビスト、ファッションモデルとしても注目を集め、そのほかにもイベントオーガナイザーを務めたり、ZINEやオンラインで料理チャンネルを作ったりと、彼女の活動は多彩だ。
そんな彼女が東京からNYへと飛び立ったのは2012年のこと。若干22歳だった。「最初は1-2年で帰ろうと思っていたのですが、月日はあっという間に過ぎていって。気づけばいまに至っています」とはにかむ。
海外で暮らしてみたいと思うようになったきっかけは「お客さんからよくリクエストされる ”外国人風” の髪型って、実際はどんな感じなんだろう」という素朴な疑問からだった。
もちろん、東京のお客さんが求めていた”外国人風” のカラーやウェーブがなにかはわかっていた。だが、その「外国人」のイメージは描けても人格がみえない。だから、それをもっと近くで見てみたかったのだという。
渡米後、すぐにブルックリンにある日系サロンでアシスタントとして働きはじめた。日本人が求める”外国人風”の髪型の持ち主が、結局のところ「白人」であり、人種の百科事典のようなこの街で、その白人が、多種多様な人種の中の一部にすぎないこと、そして、その白人にも十人十色の髪質があることを知るのに時間はかからなかった。
色々なタイプの髪にふれて腕を磨きたい。「あの頃は、毎晩のようにパーティーに繰り出していたので、魅力的な人を見つけては『今後、髪切らせてくれない?』と声をかけていました。それをきっかけに現地の友だちもどんどん増えました」。
髪を切った相手が、アーティストであれば「今度私のスタジオに遊びにおいで」と誘いを受け、遊びに行くと、そこで別のアーティストたちに出会い、今度はその人たちの髪を切る。ミュージシャンであれば「今度ライブにおいで」と誘われ、バンドのメンバーや他のミュージシャンに出会い、今度はその人たちの髪を切る。まさに、ひとつの繋がりが繋がりを呼び寄せるとはこのこと。気づけば「1年間に約400人ものヘアカットモデルの髪を切るようになっていた」。このときの経験なくして「いまの私はいないと思います」と振り返る。
抱える顧客の数も腕もアシスタントの枠にはおさまらなくなっていた頃、ヘアサロン『ASSORT NEW YORK(アソート・ニューヨーク)』のオーナー小林Ken氏に出会った。「私をスタイリストとして育てていただき、次のステージに導いてくれた人です」。
経験を重ねるにつれ、確かな自信もついてきた。技術の向上のに伴い収入も上がり、住むアパートも生活も、付き合う人も変わった。「日本に帰ったら、良い感じのレストランに家族を連れて行ってあげることもできるようにもなりました」と、なにより、そのことを嬉しそうに語る。
アソート・ニューヨークでスタイリストとして働き始めて1年ほど経つと、「徐々に、自分の店を持ちたいと考えるようになりました。そのことをオーナーに話してみたところ『それじゃ、一緒に店を出してみない?』と、背中を押してくれたんです」。
ちょうどその頃、必然かのように、アソート・ニューヨークの隣に空き物件が出た。事は順調に進み、16年4月に『ベーキャンシー・プロジェクト』を開業。彼女はクリエイティブディレクター兼スタイリストとして店に立ち、最初の1年間はひとりで店を切り盛りした。
転機が訪れたのは、オープンから約半年後。16年末の大統領選の結果に、自らを含め、周囲のLGBTQコミュニティの友人たちの心は穏やかではなかった。「美容師としてだけでなく、人として、社会に対して、なにができるのかを考えるようになりました」。
性別を問わない「ジェンダーニュートラルサロン」というコンセプトを打ち出したのもこの頃だ。男女でカットの料金が違うことに違和感を覚え、一律80ドル(約8000円)に統一。「ヘアスタイルに性別は関係ない」という彼女の姿勢は、「思いの外」反響を呼び、米『ヴォーグ(VOGUE)』や『i-D』など、メディアからの取材依頼が相次いだ。
メディアに取り上げられたことで、一層忙しくなった。1日に10人以上の来店客を相手に、ひとりでシャンプーからお会計までのすべてをこなす日々が続くと、さすがに体が悲鳴をあげた。滅多なことがなければ弱音を吐くことも、立ち止まることもなかった彼女だが、湿疹は身体中に広がり、眠ることもままならなかったのは「辛かった」。昨年の夏には治療のために休養をとり、自分と向き合う時間を持った。それは、彼女にとって貴重な時間だった。
「自分を知ってこそ、本当の意味で相手を知ることができる」。
その言葉は、彼女の接客スタイルにもあらわれている。ショートヘアを得意とする彼女の元には「バッサリ切ってください」という来店客も多いそうだが、「たとえ、そう言われても、話をしてみて、まだバッサリ切る心の準備ができてなさそうだなと感じたら、『今日じゃないんじゃないかな?』と帰すこともあります」。
その人の、そのときの心やライフスタイルと、明らかに乖離した髪型は、たとえ本人が望んでいたとしても「やらない」。なぜならその人は、明日からその髪型で生きていくからだ。鏡を見るたびに「この髪型にしてよかった」と、自分に自信を持てる幸せと、そう感じられない辛さ。自分のお客さんには、ぜったいに、後者の気持ちを味わわせたくない、と話す。
おそらく、彼女のその覚悟のようなものは、お客さんにも伝わっているのだろう。美容師としてだけでなく「人として」、自分の感性を持って、自分の言葉で接する。その姿勢が、彼女を「腕の良い美容師」以上の特別な存在に押し上げているように思う。
彼女には、この街で「ヘアサロン」以外のリアリティのある体験を数多くしてきた自負がある。現在進行形で変化し続けるLGBTQコミュニティの中心に身を置き、アートや音楽、異文化に直に触れ、喜怒哀楽、さまざまな刺激を受けてきた。そのすべての経験が「美容師」に収斂され、いまに至るという。
7年前、ニューヨークへ行くと決めたとき、周囲は「海外で美容師をやるなんて、簡単なことじゃない」と口を揃えた。それは、ある意味では正しかった。簡単なことではない。しかし、やると覚悟を決めて、ベストを尽くせば「できます」。
「私は、競争が激しい環境の方が好きです」。安定にあぐらをかかず、さらなる高みを目指して切磋琢磨。「ニューヨークのそんなとこが、目立ちたがり屋の私には、合っているんだと思います」。
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細野まさみ
京都府出身。美容専門学校を卒業した後、東京、青山の「SHIMA」で3年ほどアシスタント経験を積み、2012年にNYへ。15年に「ASSORT NEW YORK」に入社。同社のオーナー小林Ken氏と共に16年4月に「VACANCY PROJECT」をオープン。LGBTQ活動家、モデルとしても活躍する。
http://www.vacancy-project.com/
@masamihosono
Photo: Omi Tanaka Text: Chiyo Yamauchi Edit: Momoko Ikeda, Milli Kawaguchi