アルゼンチン生まれ・フランス育ちの映画監督ギャスパー・ノエは、その実験的試みと過激描写で世界中を挑発し続けてきた。でも当の本人は「早朝、眠れなくて歌舞伎町のドン・キホーテまで散歩したよ」なんて話す、ユーモラスで穏やかな人なのだった。最新作『VORTEX ヴォルテックス』は、「老い」と「病」をテーマに、ある老夫婦の死にざまをスプリットスクリーンで映し出す。本作が“過激描写のない過激な映画”たる所以を、自身の口からひもといてもらった。
ギャスパー・ノエ監督の脳内にダイブ!「腸のような作りのアパルトマンが気に入った」
身近な「死」に触発された新境地。映画『VORTEX ヴォルテックス』インタビュー
──老夫婦の死にざまを捉えたこの映画のタイトルに、「Vortex(渦)」という単語を選んだ理由は?
人生は、螺旋を描いて進むようなものだから。時間の矢は一方向に進み、同時に円を描く。フランス語には「Vortex」と「Tourbillon」という、「渦」を指す言葉が二つあるんだけど、「Vortex」の方が国際的だし(*英語にも同じ単語がある)、言葉の響きがドラマチックで好きなんだ。
フランス語や英語では悪循環から抜け出せないことを、「VORTEX(渦)の中にいる」という言い方で表現する。だから暗い感じのする、ほとんどネガティブな言葉ともいえる。
あと、6文字の単語だし、最後に「X」がついているせいか、2018年に公開した私の監督作「CLIMAX クライマックス」を連想させるのも面白くて。今回のプロデューサーやクルーには、同作にも関わっている人がいたしね。
──おもな登場人物は、映画評論家の夫(ダリオ・アルジェント)と、元精神科医で認知症を患う妻(フランソワーズ・ルブラン)、離れて暮らす息子(アレックス・ルッツ)の3人です。印象的だったのが、妻がせん妄によって息子を我が子と認識できず、唇にキスしようとするシーン。それを目撃した夫は、ショックを受けたそぶりを見せた直後、なんと愛人に電話をかけます。そんなふうに全編、悲しみとおかしみ、重さと軽さが一体になっていると感じました。
や、おかしいよね(笑)。実は、母が息子にキスをしようとするシーンは、私の実体験。この作品は決して自伝映画ではないけれど、私の母もアルツハイマーだったから。アルゼンチン・ブエノスアイレスの実家で、母が私のことを父の名前で呼ぶので、「僕はあなたの夫じゃなくて息子だよ」と言った。彼女は「冗談言わないで」と答え、それから父のことを、「私たちにずっとついてくるこの老人は誰?」と聞いてきたんだ。ちょうどこの映画で描いているようにね。
──実体験にもとづいたダイアローグだったんですか。
そうなんだ。あと、妻が今いる場所が自宅だと認識できず、息子に「私を家に帰して」と言うシーンがあるけれど、これもよくあること。アルツハイマーの親を持つ、知人のほぼ全員がそう話していた。幸か不幸か、母のアルツハイマーはそう長くは続かなかった。1年間、病を患い亡くなったんだ。
夫が愛人に電話するくだりは、私のアイデアではなくて。脚本に書いてなかったし、そもそも脚本はわずか10ページほど。ダリオが「この登場人物に愛人がいたら、もっとよくなるよ」と提案してくれたんだ。すごくいいアイデアだよね。息子は、夫に愛人がいることを知っているのに、妻には言わない。でも、本当は妻も夫に愛人がいることを知っている。おかげで映画自体も、登場人物同士の関係性もより複雑に、そしてリアルになった。そんなふうに、メインキャストの3人がそれぞれアイデアをくれたんだ。
──夫役のダリオ・アルジェントは、『サスペリア』(77)などを手がけたイタリアンホラーの巨匠監督。妻役のフランソワーズ・ルブランは、カルト的人気を誇るフランス映画『ママと娼婦』(73)などへの出演で知られる女優です。この攻めたカップリングはどのように思いついたのでしょう?
とにかく、ジャン・ユスターシュ監督の『ママと娼婦』が大好きなんだ。ラストのフランソワーズの演技は私にとっておそらく、70年代のフランス映画における“ベスト・フィメール・パフォーマンス”。今回はちょうど70代後半くらいの女優を探していたこともあり、ぜひフランソワーズと仕事をしたかった。
ダリオは、それまで映画に出演したことはなかったけれど、たとえばインタビュー映像を通して見る彼に、すごくカリスマ性を感じていた。誰もが彼を好きになる感じ。あと彼は話す時に、言葉だけでなく、手ぶりによってものごとを語るのも印象深いね。もはやこの二人以外のカップリングは考えられなかったから、引き受けてもらえて本当にラッキーだった。
──『ママと娼婦』は、無職の青年と、彼と同居している年上の女性、そして彼がある日出会う若い女性(*この役をフランソワーズ・ルブランが演じている)の三角関係を映し出す作品です。どうしてこの映画が好きなんですか?
とてもリアルで、深く、正直で、絶望的だから。たとえば私は昨晩、東京に着いたんだけど、朝の3時半に目が覚めて、そのまま眠れなかったんだ。それで、フランソワーズから勧められた『ママと娼婦』についてのエッセイ本『M/W: An Essay on Jean Eustache's La maman et la putain(原題)』を読み始めた。7時までに100ページほどのその本を読み終え、すっかり目が冴えてしまったから、とりあえずホテルからほど近い歌舞伎町のドン・キホーテに向かったんだけど(笑)。
『ママと娼婦』に関する新しい本が出るたび、読むのが好きなんだ。というのもこの映画は、創作過程から何からとても複雑だから。監督自身の人生を再現したドキュメンタリーのようなもので、公開後に彼のガールフレンドが自殺したこととか、映画の周りにもたくさんの話が残っているんだ。
──この映画はスプリットスクリーンの画面分割によって、老夫婦の日々が二つの視点から同時進行で描かれていきます。なぜこの手法を全体的に取り入れましたか?
もともと、前長編作『ルクス・エテルナ 永遠の光』(19)の一部と、〈サンローラン〉の出資で制作したショートフィルム『Summer of '21(原題)』(21)の2本で、スプリットスクリーンを使っていた。でも今回の映画の準備を始めた時、「これまで以上にスプリットスクリーンを取り入れる意味があるぞ」と思いついたんだ。
撮影初日は、あるシーンを2台のカメラで撮影し、別のシーンを1台のカメラで撮影した。でも2日目に前日の映像を観返して、「ああ、どうして両シーンとも2台のカメラで撮らなかったんだろう」と後悔し、初日のシーンを2台のカメラで撮り直した。それ以降、ほぼ全編を2台のカメラで撮ることに決めたんだ。
Photo_Norberto Ruben Text & Edit_Milli Kawaguchi