——まず、クラブカルチャーを物語のキーとして登場させた理由から教えてください。
一番は単純にテクノが好きだからです。この映画を構想し始めた当初、頭に浮かんだイメージがありました。二人の高校生がサブウーファーを持って歩いている都会の夜。その上でサブウーファーから出てくる低音や振動が、劇中に何回も出てくる「地震」というモチーフともマッチしたので。
——サブウーファーって、劇中で主人公の二人が台車に乗せて運んでいるものですか?
そうです。低音を発する機材なんですけど、テクノにはめちゃくちゃ大事なんです。
——この映画は、高校生5人組がクラブや学校に忍び込んで夜通し遊ぶシーンで、エモーショナルに幕を開けます。ご自身もあんな高校生活を?
いえ、僕はわりといい子でした(笑)。バンドのライブにはよく行っていたんですけど、クラブは数えるほど。本格的に通い始めたのは大学時代からです。ウェズリアン大学っていうアメリカの大学に通っていたんですけど、そういえば学生寮にDJを呼んでのパーティがよく開かれていて。そのスペースの、ちょうど真上の部屋に住んでいました。だから参加していなくても、サブウーファーの低音が室内の全てを揺らすんです。寝ようとしている時に、皿がガタガタいったりして。でも、それが心地よかったんですけどね。
——今作はカウンターカルチャーの映画だと捉えているのですが、クラブは世の中から隔絶された、自由に楽しむための空間という気がするので、そういう文脈ともつながるのかなと考えていました。
実は冒頭に登場するクラブには裏設定がありまして。中国から日本に逃げてきた人たちが、ある場所をスコッター(不法占拠)しては即席のクラブを始め、取り締まりを受けたらまた別の場所で始める、というふうに考えていたんです。そのことは、テクノの始まりからインスパイアされています。発祥の地であるデトロイトは、一時は自動車産業などで発展したんですが、その後は廃れてしまって。そこに住んでいた黒人の市民たちがもともと、同じコミュニティの友人たちを踊らせるために生み出した音楽、それがテクノです。奴隷制度という過酷な歴史を生き抜き、さらにアメリカという最たる資本主義社会において、構造的に抑圧されてきた人々ですが、彼らが喜びや自由を得られる、おそらくは数少ない空間の一つとしてクラブがあったんだと思います。その文化がやがてベルリンなどにも広がっていくんですけど。
僕自身が大学生の頃から最も慣れ親しんだのは、ブルックリンのクラブシーンです。クィアの人たちも多いクラブで、すごくいい音楽を流すので、よく通っていて。そこでは、今はわりと一般的になった“グラウンドルール”をいち早く取り入れていました。「ここにはいろんな人種やジェンダーの人たちがいますから、みんなが安全に楽しめる空間にしていきましょう」みたいな宣言をされ、それに同意しないと入れないという。そういう大らかな感じのカルチャーが好きですね。
——数多くいるDJの中で、¥ØU$UK€ ¥UK1MAT$U(行松陽介)さんをクラブでのシーンにキャスティングした理由は?
¥UK1MAT$Uさんが一番すごいから。彼のセットが大好きなんです。それに、めちゃくちゃシネフィルなんですよ。作品の好みが似ているので、映画館で何度も遭遇していて。前に「GINZAZA」っていう、短編映画の上映イベントをやった時も、全プログラムを観に来てくれたり。メールアドレスにも、映画史に残る監督たちの名前が入っているくらい(笑)。友だちとしても交流があり、普通に家に来てくれたりもする仲なので、頼みたかったという感じです。
——¥UK1MAT$UさんのDJ姿は絵としてもかっこいいですし。
かっこいいし、カリスマ性がある。演技もうまいんです。