A24が史上最大の予算を投じ、2週連続全米1位を獲得するなど、世界的に大ヒットを記録中の『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(10月4日公開)。舞台は分断が進み、内戦が起きたアメリカ。政府軍の敗戦が濃厚との噂が飛ぶ中、独裁的な大統領へのインタビューを行おうと、ニューヨークからワシントンD.C.へと向かうジャーナリスト4人組の姿を追った異色のロードムービーにして、迫真のディストピア・アクションだ。アレックス・ガーランド監督に、過去作とは異なり、今作で写実的なアプローチを選択した理由を聞いた。
映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』アレックス・ガーランド監督にインタビュー
「人々が暴力を嫌悪するような形で、リアリズムを行使しなければならないと考えていた」

——監督はこれまで映画『エクス・マキナ』やドラマ『DEVS/デヴス』などで、技術革新における非人道性を寓話的に表現してきました。反面、今作では内戦の勃発にともないインターネット回線が非常に遅く、ある意味で退化したアメリカが舞台です。過去作とは対極の世界を描いているようにも見えます。
むしろ、両者の間には共通項があります。今作の核となるのは、「歴史を忘れたら、その歴史は繰り返される運命にある」というフレーズです。つまり私たちは今、1930年代や1940年代に学んだ教訓を忘れ、同じような問題を繰り返しているということ。「ドナルド・トランプはムッソリーニやヒトラーのようだ」と言っても過言ではないと思います。大統領経験者にかける言葉として、ばかげていると思いたいけど、残念ながらこれは真実です。『エクス・マキナ』や『DEVS/デヴス』でも似たようなことが起きています。そこでは、テック企業のボスたちの手に多くの権力が集中していて、彼らは自分の行動がもたらす結果をよく考えていません。ボスたちは政治家と同じように、しばしば自分のことを天才だと捉えています。それはひとえに“大富豪だから”というひどい理由による思い込みです。本来は過信にすぎないことを検証すべきだけど、深く掘り下げなければ、裕福なのはすごいことに思えます。こういう人々は何も考えず、ただナルシスティックに重大な決断を下します。その点で、トランプはイーロン・マスクによく似ていて。彼らが友人関係にあることには驚きません。『エクス・マキナ』や『DEVS/デヴス』はマスクのような人たちの話で、『シビル・ウォー アメリカ最後の日』はトランプのような人たちの話。双子のようなものです。
——主人公である報道カメラマンのリー(キルスティン・ダンスト)は仲間と共にニューヨークを車で出発し、陥落間近といわれるワシントンD.C.を目指します。14カ月もの間、いかなるインタビューも受けていない、権威主義的な大統領を取材するためです。この映画で、監督は今までで最もリアリズムに近いアプローチをしたのではないかと思うのですが、それはなぜですか?
もちろん、写実的なアプローチにはリスクがつきものです。でも同じように、非現実的あるいは空想的な方法もリスキーです。だからこそ、最終的にはどちらのリスクをとるか選ぶだけでした。この映画は内戦、つまり暴力を描いています。現実的にもありえないことではなく、十分に起こりうる事態です。ということは、その暴力の見せ方にはある種の責任がともないます。『007』や『ボーン』シリーズみたいに映せば、楽しく、エキサイティングで、魅惑的にさえ見えるでしょう。例えばジェシー・プレモンス演じる、赤いサングラスをかけた男がジャーナリストたちを処刑するシーンがありますよね。そこがもしエンターテインメント的に感じられたなら、それは観客にとって、とりわけある特定の人たちにとっては、危険なメッセージになってしまう。人々が暴力を嫌悪するような形で、リアリズムを行使しなければならないと考えていました。
ある意味で、もし今作に“刺激”があるとすれば、暴力をリアルに感じられることです。単なる娯楽作にするのは避けたかったし、安全なだけの作品にもしたくなかった。例えば、観客はホラー映画を観る時、すっかり安心しています。ゾンビもヴァンパイアも実在せず、全てが作り物のファンタジーだとわかっているからです。観ている間は緊張するけど、本当には恐ろしくない。今回の映画には、もっと不穏な空気が必要でした。でなければ、さっき話したような作品の趣旨から完全に離れてしまうので。
——不穏な空気を作り出すために、どんな工夫を行いましたか?
観た人の感想で多いのは、「銃声が鳴るシーンで、まるで自分で銃を撃ったかのように、身体的な体験として感じた」というもの。そのことに関しては、かなり意図的でした。いわゆる銃声というのは、ホラー映画と同様、映画がいかに物事を安全だと錯覚させるかのいい例です。劇中に登場する銃声は、基本的にエキサイティングですよね。銃は多くの場合、物語上の問題を解決するための道具として機能しますから。現実には、もし私が今この部屋でマシンガンを撃ちまくったなら、我々全員にとって、その衝撃波がまるで腹の中に突き刺さってくるかのような体験になるでしょう。発砲している側も、銃から空薬莢が自動的に飛び出し、自分に跳ね返ってきます。とても熱いから火傷することも。実際の銃撃戦は、内臓に響くようなものなのです。うるさくて、暴力的で、攻撃的。でも映画では、銃声はしばしば観客に、物語における安心をもたらします。クレイジーだと思いませんか?
「銃を現実のように、恐ろしいものだと体感させるにはどうしたらいいのか?」。その問いに対する試みの一つが、サウンドデザインでした。シャッター音と銃声という2種類の音を並置し、互いに絡み合わせる一方、音のこもった聞こえ方を採用するなど、静寂も重視しました。2種類とも、これまでいわば映画がロマンチックに扱ってきたサウンドです。戦場の現実バージョンには、なんらロマンスはありません。さきほどの問いを言い換えれば、「現実をどう映画に落とし込むか?」。このまま延々と話し続けることもできるけど、きっと退屈なはず(笑)。とにかく、これまでの映画とは観客の感じ方を変えるために、現実のテクスチャーのようなものを何層にも重ねる工夫をしました。

Photo_Wataru Kitao Text & Edit_Milli Kawaguchi