A24が贈る最新映画『終わりの鳥』(4月4日公開)は、余命わずかな少女・チューズデーと、彼女の前に現れた変幻自在な“死”を告げる鳥「デス」、そして母ゾラとの関係を描く。あまり目を向けたくない死の側から、人間が生きる世界を見据える、奇想天外なストーリーをオリジナリティを持って可視化したのは、クロアチア出身の新鋭ダイナ・O・プスィッチ。長編初監督作にして、観る者を未知の世界へと連れていく本作と、ユーモアと共にある死の概念はどのようにして生まれたのか。その道のりを聞いた。
A24が発掘した新たな才能、ダイナ・O・プスィッチにインタビュー
死をもたらす鳥と、母と娘のユーモラスな関係


——「デス」というキャラクターを通して、死の立場になって考えるというコンセプトがとてもユニークで、「死も辛いよね。アイス・キューブのラップ聴きながらチルしたくなるのわかるよ」という気持ちになりました。死という現実をファンタジーを用いて視覚化するというアイデアは、どのように育まれたものなのでしょう?
10代前半で変性疾患と診断された友人を亡くしたことが発端にはなっているのですが、この映画のアイデア自体は、もう少し後になってから出てきたものです。本作は、私が死と孤独というものとどう関係しているかを象徴しています。人生の終わりとしての死だけでなく、精神的、心理的な死というものと。また、映画をつくるとき、ストーリーを書くとき、私はファンタジックな設定にすることが多いんですよね。意図的にそうしているわけではなく、多くの場合、空想的な設定が、人々がどう感じ、考えるかを表現するのに適切だと感じるからという理由からなんですが。
例えば、「デス」はインコのような造形をしていますが、これはかなり現実的な決断でした。このキャラクターが誰なのか、彼に何をさせる必要があるかを重々わかっていたので。しゃべることも、踊ることも、ジョークを言うことも、威嚇することも、友好的であることも重要で、それらの要素すべてを鳥のような生き物の中に見出すことができたので、それを選択しました。
——あなたは、クロアチア人であり、旧ユーゴスラビア人でもありますが、バルカン半島で育った感性は、死の捉え方にも影響しているのでしょうか?
バルカン半島、特にセルビア、ボスニア、クロアチア、ヨーロッパのこの地域を文化的に見ればおわかりかと思いますが、そこには非常に特殊な、激動と紛争に満ちた歴史があります。その結果、暗い場所にユーモアが入り込むようになった。つまり、バルカンの人たちは、死や痛み、暗闇にユーモアをもって対処するんです。文化として、私たちが死に対してとりわけ健全な姿勢があるかどうかはわからないけれど、死は確かに存在していて、私たちはそれを意識しています。そういう環境で育ったので、比較的若いうちから死に対する、この映画で表現されているような態度が形成されたのだと思います。
——斜にかまえたユーモアと、前向きな死生観に共感しました。
死が生命に力強さや美しさ、意味を持たせる理由のひとつは、まさに命には期限があるからですよね。その魔法を人生に吹き込むためには、やはり死を意識しなければならないと思うんですよね。
Text&Edit_Tomoko Ogawa