フランスの鬼才、ベルトラン・ボネロの監督最新作『けものがいる』が4月25日(金)より公開。人間が〈感情の消去〉をされる2044年の近未来のディストピアから、35ミリフィルムで撮影された1910年の社交界、そして2014年のスリラー劇まで、100年以上の時を超えて転生を繰り返す男女の、愛と恐怖の運命を描く。主演はレア・セドゥとジョージ・マッケイ、共同プロデューサーにはグザヴィエ・ドランを迎え、『哀れなるものたち』をはじめ世界中の話題作が集まった第80回ヴェネチア国際映画祭では、公式批評スコア一位を獲得し絶賛された注目作だ。現代社会において抑え込まれがちな感情を、時代も場所も超えて揺さぶるSFメロドラマを生み出したベルトラン・ボネロ。彼が人間関係と孤独、テクノロジー、そしてインセル・カルチャーについて語る。
ベルトラン・ボネロが描く、愛と恐怖のメロドラマ『けものがいる』
人間が感情を消去することを強いられた、恐れのない世界という恐ろしさ。


──女性が主人公のメロドラマをつくりたいと思ったところから、以前から読んでいたヘンリー・ジェイムズの小説『密林の獣』が最適な原作として浮かび上がってきたとのことですが、そもそもなぜメロドラマをやりたかったのでしょう?
メロドラマは今まで私が取り扱ったことがないジャンルで、監督という職業はいつもやったことのないジャンルに挑戦してみたいと考えるものなので、今回挑戦しました。斜に構えたり、皮肉を込めるのではなく、本当に純粋に真正面からメロドラマを扱いたいと思ったんです。
──メロドラマをどう定義しているのか気になります。
二人の人物、今回の映画では女性と男性が、側からは誰が見ても二人は愛し合ってると思うのに、当の本人たちだけは気づかない。そして、結局はうまくいかない。これが私の考えるメロドラマの定義ですね。
──最近、出会ってもなかなか安定せず、引き離すのも難しい、過去世からの巡り合わせの関係を指す、「カルミック・リレーション」という言葉を知りまして、この映画の二人の関係がまさに当てはまるなと思いました。あなたにとってカルミック・リレーションという言葉から連想する関係はありますか?
そうですね。私自身、この映画と同じようなことを経験しているかもしれません。また同じことを繰り返してしまったという感覚を。そして、その度に学びがあるので、少しずつ人間関係は改善しているかなと。年を重ねることで得られる数少ないメリットのひとつは、人間関係が徐々に円滑になるということですよね。
──ちなみに、うまくやれているなと思えるようになったのは、いつ頃からですか?
うーん、でも人間関係や恋愛関係を、完璧に管理することは人間にはやっぱりできないですよね。感情が勝ってしまうときは、理性は若干失われますから。ただ、そうあることはラッキーというかありがたいことだなと。理性ばかりになってしまったら、それは少し悲しいことだと思います。
Text&Edit_Tomoko Ogawa