『Mommy/マミー』『わたしはロランス』で知られるカナダ・ケベック州出身の映画監督グザヴィエ・ドラン。自身初のテレビドラマ『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』〈字幕版〉がPrime Videoチャンネル「スターチャンネルEX」で独占配信中だ。1991年と2019年を行き来しながら、ある家族の嘘と秘密が明らかになっていくサイコスリラーの本作。ドラン映画が刺さったことのある、あなたに贈るドラマレビュー。
グザヴィエ・ドラン初のドラマをレビュー!『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』でドランが変わったこと/変わらないこと

*記事後半にネタバレを含みます。
「もしかしたら、ドラマの方がたくさん観ているかも、…映画より。こんなこと言うと敵を作りそうだけど(笑)」
フランスの放送局カナルプラスのインタビューで、ちょっとバツが悪そうにそう話したグザヴィエ・ドラン。最も権威ある映画祭の一つとされる、カンヌ国際映画祭との結びつきが深いドランにとって、このフレーズはたしかに表立っては言いにくかったのかもしれない。
19歳で撮った長編デビュー作『マイ・マザー』(09)がカンヌ国際映画祭の監督週間で上映されて以来、続く『胸騒ぎの恋人』(10)や『わたしはロランス』(12)も毎作のように同映画祭でプレミア上映され、2014年に『Mommy/マミー』(14)で審査員賞、2016年に『たかが世界の終わり』でグランプリを受賞した、華々しい経歴の持ち主だ。
カンヌの申し子ともいえるドランだが、子役として活動していた子どもの頃は、映画『タイタニック』(97)にハートを撃ち抜かれた一方で、『バフィー 〜恋する十字架〜』(97-03)、『ロズウェル/星の恋人たち』(99-02)などワーナー・ブラザース発のエンタメ度MAXなメロドラマに、うまくいかない現実から逃げるようにして夢中になってきたという。
そのあとエミー賞の常連で、良質なドラマ作りで知られるアメリカの放送局HBOの『シックス・フィート・アンダー』(01-05)にどっぷりハマったそうで、最近では『ホワイト・ロータス/諸事情だらけのリゾートホテル』(21-)をフェイバリットに挙げ、クリエイターのマイク・ホワイトについて「彼の作品に出るのが夢なんだ」とまで話している。
先に映画監督としてデビューしたが、映画の道に進むか、ドラマの道に進むかは「にわとりが先か、卵が先か」だったそうだ。
そんなドランが初めて挑んだテレビドラマが、『ロリエ・ゴドローとあの夜のこと』。2022年秋にカナダでの配信が始まり、2023年1月にフランスでも配信・放送開始。2023年2月末からは日本でも配信がスタートした。
1991年、カナダ・ケベック州の郊外。ラルーシュ家のジュリアン、妹のミレイユと、向かいに住むゴドロー家のロリエはいずれも10代で、仲良し3人組だった。しかし、ある夜の事件をきっかけに3人の人生は一変。ミレイユは秘密を抱えたまま町を離れてモントリオールに上京し、家族と距離を置いていた。
時が経ち2019年。母マドが危篤という連絡を受け、ミレイユが帰郷し、ジュリアンとパートナーのシャンタル、二人の弟たちなど家族が再び集まる。そして、マドが残した予想外の遺言が引き金となり、葬り去られていた嘘と秘密に翻弄されることとなる―。
母マドをドラン作品の常連であるアンヌ・ドルヴァルが、一家の末っ子エリオットをドラン自身が演じ、これまでも彼が取り組んできた「母子関係」「家族」「同性愛」といったテーマが、サイコスリラーのスタイルで描かれていく本作。
原作は、同じケベック州出身の劇作家ミシェル・マルク・ブシャールによる密室劇の舞台。ドランはそれを、90年代のカルチャーやムードも映しとりながら、自由に翻案した。主要キャラ4人を舞台版のオリジナルキャストが演じていることからも、どれだけ舞台に心を動かされたかがうかがえる。なおブシャールはドランの長編第3作『トム・アット・ザ・ファーム』(13)の原作者でもある。
音楽を手がけたのは、ハンス・ジマー御大&デヴィッド・フレミング。実は当初予定していた音楽家が降板し、ドランが困りきっていたところ、これまたケベック州出身のドゥニ・ヴィルヌーヴの紹介でジマーの連絡先をもらったそう。忙しいから無理だろうとダメ元で電話したというが、なんと快諾。
『DUNE/デューン 砂の惑星』(21)でアカデミー賞とゴールデングローブ賞を受賞したことも記憶に新しい映画音楽の巨匠が、オリジナルスコアで物語にヒリヒリするような緊迫感を与えている。
さてこのドラマも含め、ドランの作品にはクローズアップ・ショットが多く登場する。自分自身の経験から物語を編み出してきたドランにとって、クローズアップの多用はもしかすると、表情を細かく観察することで、分からない「他者」の気持ちを知りたいという彼の欲望、というか一種の使命感の現れなんじゃないかと思う。
今回のドラマにおける圧倒的な「他者」は、主要キャラの一人ジュリアンなのではないだろうか。彼のトキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)は、周りにいる全員に影響を及ぼしていく。
まず、ジュリアンに逆らえない妹ミレイユ。彼女は家父長制社会における一般的な女性の在り方を象徴しているように見える。それから名誉男性(*1)的な立場にいる母マド、タフで正直なパートナーのシャンタル、やや歳の離れた優しい次男ドゥニ、ドラッグ中毒の治療中で繊細な末っ子エリオット。
*1【名誉男性】現在の家父長制社会を乱すことなく、男性同等の地位を与えられた女性。
*以下、ネタバレを含みます。
あともう一人が、1991年にジュリアンと親しくしていたロリエだ。彼は表向きにはジュリアン同様、優秀な野球選手で人気者だが、実はクローゼットに入ったゲイ(*2)だった。そのことが思わぬ悲劇を生んでしまう。家父長制社会の仕組みがよく表された相関図だ。
ドランは『トム・アット・ザ・ファーム』や『マティアス&マキシム』(19)などでもトキシック・マスキュリニティに触れてきた。でもこのドラマが特別なのは、これまで以上に徹底してジュリアンその人の視点にも立つことだ。
当初、ジュリアンには何を考えているかよく分からない不気味さがある。妹ミレイユが現れるなり「モントリオールのアバズレ」(劇中セリフママ)と罵倒したり、情緒が不安定でいきなりキレたりする。その表情はいつもこわばり、どこかギクシャクとしていて、クローズアップ・ショットを観ているとざわざわする。
しかしジュリアンの前に、現実か幻か分からない、全身真っ黒かつ黒いバイクに乗った謎のライダーが現れ始めてから、恐れの感情が見え隠れしていく。
ちなみに恐ろしい幻を見るのは、ほかの家族も同じだ。たとえば危篤の母が窓から飛び降りる幻を見るドゥニ。自身が血を吐く幻を見るエリオット。幻の描写は一瞬で、すぐになんでもない日常に戻るが、この手法はドランお気に入りの、葬儀屋家族の物語を描くダークコメディ・ドラマ『シックス・アンダー・フィート』でも使われている。
ドラン自身も『シックス・アンダー・フィート』のほか、殺人事件に巻き込まれたパキスタン系アメリカ人が主人公の法廷サスペンス・ドラマ『ザ・ナイト・オブ』(16)の表現手法も引用したと話している。
『マイ・マザー』でフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(59)から着想を得たり、『胸騒ぎの恋人』でウォン・カーウァイの『花様年華』(00)のように女性が歩く後ろ姿をスロモーションで映し出したりしてきたドラン。愛する作品にオマージュを捧げる“オタクスタイル”はドラマになっても変わらない。
さてこのドラマでは話を重ねるごとに、ジュリアンが抱える恐れの正体がなんなのかが少しずつ分かってくる。私たちは彼を通して、トキシック・マスキュリニティを持った男性特有の恐怖をなまなましく擬似体験していく。ラスト、大雨でずぶ濡れになり、情けなくうつむいた後ろ姿のクローズアップで映るジュリアンは、もう「他者」ではないように思う。
そういえばドランは『マティアス&マキシム』のインタビューでも、「男性たちの間で、マスキュリンであることの意味、“特定の感情”を抱いてしまったらマスキュリンでいられなくなるかもしれないと恐れることの意味、マスキュリニティがいかにトキシックであるかの議論が始まっているよね。この映画で描いているのはまさにそういうことなんだ」と話していた。
また、「20代後半で初めて仲がいい男友だちのグループができた。それで友情をモチーフにしたいと思ったんだ」とも。
ジュリアンのようになる気も、そしてあえて言えばなるチャンスもなかったドランが、「他者」であるジュリアンの視点に立ち、なおかつ彼自身も苦しむその“毒”に、ゆるやかに侵されてきた家族一人一人の思いまで描ききるためには、当然それなりの長尺が必要だ。キャラクターの顔を突き抜けてその内側に入り、どこまでもクローズアップしていくような、真剣な人間観察がこのドラマにはある。ただ映画から間延びしたのではない、ドラマでやる意味がある作品だ。
*2【クローゼットに入ったゲイ】「クローゼット」は自らの性の在り方を自覚しているが、ほかの人に開示していない状態。押し入れに隠れている状態にたとえて言う。(参考:LGBT法連合会『LGBTQ報道ガイドライン 多様な性のありかたの視点から』)
本作の発表時、ドランが「自分の物語を語るのはもういいかな?」と話したのが、事実上の引退宣言かと話題になった。またパンデミック以来、政治的な作品が好まれる風潮を肌で感じ、自分らしいクリエイションをつらぬく難しさも感じていたとも打ち明けている。
デビュー作から追ってきた身としては引退したら寂しい。今回のまさに自分らしいクリエイションを200%つらぬき、かつ秘めたドラマ愛を爆発させた作品が、新しいターニングポイントになることを願う。
最後に余談なのだが、私は映画を通じて世界の罵り言葉を学ぶのが好きで、荒っぽい韓国映画を観ると「シバ(시바)」と言いたくなるが、ドランの作品を観るとケベックの罵り言葉「タバルナック(Tabarnak)」を使いたくなってしまう。意味を調べた上で、ご自身の責任でご使用ください(笑)。
『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』
(シーズン1・全5話)
1991年、カナダ・ケベック州の郊外。ラルーシュ家のジュリアン、妹のミレイユと、向かいに住むゴドロー家のロリエは仲良し3人組だった。しかし、ある夜の事件を境に3人の人生は一変。ミレイユは秘密を抱えたまま町を離れ、家族と距離を置いていた。時が経ち2019年。母マドが危篤という連絡を受け、ミレイユが帰郷し、ジュリアンとパートナーのシャンタル、次男のドゥニ、 ドラッグのリハビリ施設から一時的に出てきた末っ子エリオットら家族が再び集まることに。そして、マドが残した予想外の遺言が引き金となり、葬り去られていた嘘と秘密に翻弄されることとなる。はたして“あの夜”いったい何が起きたのか―。
監督・脚本・製作・出演: グザヴィエ・ドラン(『Mommy/マミー』)
音楽: ハンス・ジマー、デヴィッド・フレミング(『DUNE/デューン 砂の惑星』)
出演: ジュリー・ルブレトン、パトリック・イヴォン、アンヌ・ドルヴァル、エリック・ブルノー、マガリ・レピーヌ・ブロンドー、ジブリル・ゾンガほか
【配信】Prime Videoチャンネル「スターチャンネルEX」〈字幕版〉独占配信中
【放送】BS10 スターチャンネル〈STAR1 字幕版〉放送中
©︎ Fred Gervais