人々が目一杯ドレスアップして集い、記念日やハレの日を過ごす名ホテル。昭和初期から積み重ねてきた歴史が、風雅な空気となって敷地や建物全体に漂います。
日本の美術と工芸が彩る絢爛豪華な空間「ホテル雅叙園東京」
東京ケンチク物語 vol.53
ホテル雅叙園東京
HOTEL GAJOEN TOKYO

目黒駅から西へ伸びる急な坂道を下ったところにある「ホテル雅叙園東京」。ウェディング、とりわけ和装での式が人気で、1年先まで予約が埋まっているというこちら、日本の美術と工芸が彩る絢爛豪華な空間が、その魅力のひとつなのは間違いないだろう。
起伏のある広大な敷地に、前身の「目黒雅叙園」がオープンしたのは1931年のこと。芝浦の高級料亭が、より大衆に開かれた料亭を目指して移転。創業者の細川力蔵が考えたのは、“お大尽気分でまる1日を過ごせる場所”だった。力蔵は希代の棟梁や芸術家を雇い入れ、緑の生い茂る敷地の中に、壁画や天井画、彫刻などの美術や、手の込んだ工芸を詰め込んだお屋敷をひとつまたひとつと建てていった。いちばん多いときで敷地には7号館までが建ち、宴会場は200を超えたとか!木々や花々に鳥や虫が集い、放たれた孔雀が庭を歩き、すぐそばを目黒川が流れていく……。情緒豊かな土地と、隅々まで芸術の粋に埋め尽くされた設え。人々は浮世離れした贅沢な場での宴を楽しんだそう。
目黒川の河川工事などに伴い、それら屋敷群は取り壊されたが、1935年完成の旧3号館である木造の東京都指定有形文化財「百段階段」は当時のままに残る。趣向の異なる7つの部屋を99段の長い階段廊下がつなぐつくり。分厚いケヤキの階段を踏んで入る部屋は、鏑木清方や礒部草丘など異なるアーティストに任せていて、当代の人気者たちが競うようにつくったのだろう、天井画や欄間の絵、床柱の彫刻などが部屋ごとにまるで違う。さらに階段に沿って各室のある高さも変わるから、木々の合間に落ちる葉影が美しい一室があれば、晴れた日には富士山の見える部屋もあってと、窓外の景色もそれぞれ。かつては、共同のトイレで出会う着飾った客同士が、「自分の部屋はこうだった、ああだった」と語り合い、次の宴で使う部屋に思いを馳せたとか……。往時の賑やかな様子が、不思議なほどにくっきりと立ち上がって見えてくる場所だ。また現在、ホテルの中核をなす現代的なビルも、往時のコンセプトを継承し、あまたの美術品を修復して採用しているのは特筆すべきところ。よき日本を味わい尽くす、風流なホテルだ。
Illustration_Hattaro Shinano Text_Sawako Akune Edit_Kazumi Yamamoto