フィンランドの偉大な建築家・デザイナー、アルヴァ・アアルト。同じく建築家であった最初の妻アイノとともに、不朽の名作「スツール60」や、自然との調和が見事な「ルイ・カレ邸」など、優れたデザインと名建築を生み出した。その一つである図書館に魅せられた少女がやがてドキュメンタリー作家になり、夫妻の制作秘話や、知られざる愛の物語を捉えた映画『アアルト』を撮ることに……。張本人であるヴィルピ・スータリ監督が、4年にもわたった映画作りについて熱量たっぷりに語ってくれた。
映画『アアルト』ヴィルピ・スータリ監督にインタビュー
北欧デザインの巨匠、アアルト夫妻の名建築を旅する103分。「真の贅沢さは控えめな部分から立ち現れる」

──フィルモグラフィを見ますと、監督はこれまでは一般人の人生や暮らしを取り上げてきた印象です。今回、有名なアアルト夫妻のドキュメンタリーを撮ったのはなぜですか?
まったくそのとおりで、私は基本的にいわゆる「普通の人々」に興味があります。でも、この映画のアイデアは自分の中で長い間くすぶっていました。私はフィンランド北部のロヴァニエミで生まれ育ったんだけれど、この街は戦争で破壊し尽くされたんです。戦後、建築家たちが救援にやってきて、街を再建し、新しい都市計画を練り始めました。アルヴァ・アアルトもその一人でした。
アルヴァの設計によるロヴァニエミ市立図書館は1965年にオープン。1967年生まれの私は子どもの頃、この図書館がお気に入りの場所で、毎日放課後に通っていました。おやつを食べたり、宿題をしたり、革張りの椅子に座ったり……。有名なブラス素材のランプも吊り下がっていたりして、本当に美しい特別な場所でした。アルヴァはいわば故郷のヒーローです。彼のような偉大な建築家の建物が存在することは、市民の誇りでした。
子ども時代の多くを過ごした図書館の設計者である、アルヴァ・アアルトとは何者なのかもっと知りたい。ドキュメンタリー監督として経験を重ねた後で、この原点に立ち戻りました。この手の伝記映画はテレビ局からの依頼で作られることも多いけど、これは受注仕事ではなく、あくまで私がやらなきゃと思って始めたプロジェクトです。
──作中では各国のアアルト建築がたっぷり紹介されています。一つ一つの建築に合ったカメラワークを採用しているように感じましたが、どんなことを意識しましたか?
できるだけカメラを動かし続けることが重要でした。実際に建築物を外から眺め、中に入っていくかのような鑑賞体験を観客に与えたかったからです。また屋上など、さまざまな視点を発見・探索できるようにするために、ドローンカメラも使いました。アアルトの建築は内観だけでなく、全体として芸術作品ですから。本質を押さえるために、多様なテクニックを駆使する必要がありました。
またサウンドデザインも、作品に流動性や有機性を生み出す上で、大きな役割を果たしています。古い写真や映像もたくさん登場するだけに、この映画は何かにつけ古臭く見えがちです。私たちはとにかくホコリを払い、生き生きとフレッシュな作品を作りたいと考えていました。
──見せ方を考えるにしても、そう何度も現地に足を運んでロケハンすることはきっと難しいですよね。どのようにそれぞれの建築物と向き合ったんでしょうか?
場合によります。たとえば、アルヴァがフランスの有名な画商ルイ・カレからの依頼で設計した、フランス・パリ郊外にあるルイ・カレ邸(1959年)には、まず一人で取材しに行き、「これは撮影する価値がある」と判断しました。2回目は撮影クルーと一緒だったんだけれど、実は現地に寝泊まりすることができたんです! 本当に素晴らしい体験でした。撮影はいろいろと即興的に行いました。その時々の光に合わせたり、その場所の雰囲気やスケール感がわかるようにと、人物を映り込ませたり。
また、アアルト夫妻が懇意にしていたグリクセン夫妻の依頼で設計した、フィンランドにあるマイレア邸(1939年)。映画の中ではモノクロとカラーを混じえて見せていて、その家で生まれ育った元オーナーの息子も登場します。ルイ・カレ邸と同じく現地に泊まれたので、みんなで暖炉で暖まりながらお酒を飲んだり、芝生の屋根がついたサウナに入ったり。私たち撮影クルーが家に着いた時、なんと使用人がシャンパンをサーブしてくれたんです。みんなすっかり驚いて、アシスタントから「ドキュメンタリー映画の撮影っていつもこんなに贅沢なんですか?」と聞かれたくらい。もちろんそんなわけありません(笑)。しかも、至るところに錚々たる美術作品が飾られていて。ピカソ、ロートレック、レジェの絵に、ドガの彫刻……。なんと私はピカソの絵と同じ部屋で寝たんですよ。
でも、真に豊かなのはお金のことではなく、空間をどう使っているかです。マイレア邸の贅沢さは素材や空間、また内観と外観がどう対話しているかといった、ごく控えめなところから立ち現れているのがすばらしい。室内には木の柱が立ち並び、まるで森の中にいるような感じがします。日本式のウインターガーデンも備わった、とても繊細で官能的な場所です。ある建築評論家が、「マイレア邸は家ではない。愛の詩だ」と表現していますが、まさにそうだと思います。今に至るまで綺麗に保存されていますが、そこには何か特別なものがあるんです。
──いかにもモダン建築な、パイミオのサナトリウム(結核療養施設。1933年)の撮り方も印象的でした。一面の銀世界の中、ドローンカメラが建物の真上から降りていく。その様子はまるで……
SF映画みたいですよね? 雪に包まれた姿は幻想的だし、あんまり見ることがないし、とてもいいアイデアだと思ったんです。この映画を撮影していた当時、この建物は児童福祉施設として使われていたので、内部の撮影は許されませんでした。だからその部分だけアーカイブ映像を使っています。でも今は一般公開されていて、新たな使い途が模索されている最中。内観を自分たちで撮れなかったのだけが心残りです。
──ユヴァスキュラ教育大学(1951/1956年)の映像には、パルクールをやっている若者たちが映り込んでいて面白かったです。
あれは地元で活発に活動しているパルクール集団です。彼らはあの大学の建物というか壁が大好きで、いつもそこでパルクールを教えているそう。もちろん彼らがいる時をねらって撮影しに行っているけれど、実際いつもああやっているので、映画のために来てもらったわけではありません。アルヴァの建築には「遊び心」という強力なイデオロギーがあり、「そこにあるもので遊べる」ことはとても重要。だからこそ、パルクール集団に出てほしいと思いました。
Edit&Text: Milli Kawaguchi