現代フランスを代表する映画作家、アラン・ギロディ監督の特集上映が3月後半より開催中。最新作『ミゼリコルディア』を含む3本のラインナップは、いずれも日本劇場初公開だ。のどかなフランスの地方を舞台に、サスペンスにエロティックなユーモアを織り交ぜた、独創的な作風で知られる監督。セクシュアリティを超えた“欲望の連鎖”を描く背景には、自身もオープンリーゲイとして、フランスで長年、LGBTQ映画がニッチな扱いを受けてきたことへの問題意識があるという。
“慈悲”の名を持つ映画が問う、愛・欲望・そして嘘
映画『ミゼリコルディア』アラン・ギロディ監督にインタビュー

——最新作『ミゼリコルディア』(24)をはじめ、今回日本公開された3作では、いずれも“欲望の連鎖”が描かれています。なぜこのモチーフに惹かれますか?
それは私にとって基本のようなもので、長い間、多くの作品を通して関心を持ってきたことです。映画の原動力は謎であり、では人生における大きな謎は何かといえば、愛、そして欲望。というわけで、欲望は映画にとって最高の原動力なのです。『ミゼリコルディア』に関しては、当初から「セックスシーンのないエロティックな映画を作りたい」と考えていた気がします。つまり主人公ジェレミー(フェリックス・キシル)の叶わなかったセックス、満たされなかった欲望についての映画なのです。
——タイトルの「ミゼリコルディア」=「慈悲」とは?
このタイトルは、脚本を書いている時に思いつきました。私にとって慈悲とは、許しを超えたもの。それは共感、道徳を超えた他者理解とも関係があります。今ではあまり使われない言葉ですが、時代性を超えたこの映画をよく表しています。
Text&Edit_Milli Kawaguchi