1950年代、グローバルに流行したブルータリズム建築。コンクリートやガラスなどの素材をそのまま用い、どこか荒々しい印象を与える建築様式を指す。映画『ブルータリスト』(2月21日公開)はあるブルータリズム建築家の数奇な運命を、30年にわたって描く壮大な叙事詩だ。本作でアカデミー美術賞®︎にノミネートされたジュディ・ベッカーに、美術監督ならではの視点から解説してもらった。
光と闇、記憶と未来。美術監督が語る『ブルータリスト』の世界観
オスカー美術賞にノミネート。ジュディ・ベッカーにインタビュー

——主人公は第二次世界大戦を生き延び、アメリカへと渡ったハンガリー系ユダヤ人建築家のラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)。彼が手掛けるブルータリズム建築「インスティチュート」を、ジュディさんは美術監督として実質設計しました。安藤忠雄さんの「光の教会」もサンプリングされているように思いましたが、それはなぜですか?
祭壇に映る光の十字架のことは、すでに脚本に書かれていたんです。おそらくブラディ(・コーベット監督)が、光の教会を参考にしたんでしょうね。安藤忠雄は偉大なブルータリズム建築家です。私も光の教会のことはもちろん知っていたので、あまり真似しすぎないように、少し距離をとろうと試みました。とても美しい教会で私も大好きなので、いつかぜひ生で見てみたいですね。
——インスティチュートと光の教会には、ともに非クリスチャンの建築家による教会という共通点もあります。
アメリカのモダニズム教会の多くは実際に、非クリスチャンの建築家によって設計されているんです。ラースローのキャラクター像に影響を与えた、ハンガリー出身のユダヤ人であるマルセル・ブロイヤーも、キャリア初期に多くの教会を手掛けました。そのことについて書かれた興味深い本(『Marcel Breuer And A Committee Of Twelve Plan A Church』)もあるんですが、ブラディがあちこちのインタビューで話しているから、どこへ行っても売り切れなんです(笑)。
——ジェームズ・タレルなど、ランドアートからもインスパイアされているそうですが、そこに目を向けたのはどうしてですか?
地下に閉じ込められ幽閉されることと、光の中へと放たれること。両者の関係性について探求したいと思っていたからです。たとえば映画の冒頭、彼がアメリカへと渡る船の甲板に上がるシーンで表現されていたように。インスティチュートには、ホロコーストの経験を取り入れることになっていました。入り口については、急勾配で深い地下に潜っていくように設計しました。出る時は逆に、広い階段を通って光のもとへと導かれます。ジェームズの肩書きをなんと定義すべきかわかりませんが、彼はアーティストであると同時に建築家でもあります。だから光の十字架が差し込むチャペルについて考える時、彼の作品をたくさん見ていたんだと思います。直接的に引用したわけではないけれど、設計中は間違いなく彼のことを考えていました。
インスティチュートの建設はラースローにとって、ホロコーストの記念碑作りであると同時に、そこから前進する方法でもあったと思います。彼と妻エルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)が経験した恐ろしい体験を消し去り、意味を持たせること。残忍主義者(brutalists。ブルータリズム建築家という意味もある)、つまり心ない人々(brutes)に負けないために。それはつまり、何かを生み出すということです。私はインスティチュートの依頼主である実業家ハリソン(ガイ・ピアース)も、そういう残忍な人々の一人だと見なしています。インスティチュートを完成させることは、ハリソンに対する破壊行為でもあるわけです。ラースローはいわゆる感傷的な人間ではありません。エルジェーベトが愛の言葉をせがんだ時、彼は「愛してる、この牛め」なんて言います。温厚でキュートなタイプではないけれど、実は非常に多くの感情で満たされている。インスティチュートはある意味、ラースローその人をよく体現していると思います。
——ラースローは亡命後にまず、ハリソンの邸宅にある書斎を大胆にモダンにリフォームします。書斎とインスティチュートの間に、デザイン上のつながりはありますか?
つながりはあるかもしれないけど、あるとしてもあまりに希薄なのでどうでしょうか。書斎はもとからある空間にもとづいての依頼で、ラースローの作家性が十分に表れているわけではなくて。私は劇中の彼と同様、この空間ならではの問題に対処しようとしました。そこはウインターガーデンで、ガラス張りの部屋へどのように本棚を設置するべきか本当にわからなかった。脚本には、「ロープで引き上げられて花のように開く棚」とだけ書かれていて。最終的には棚を支える裏板を張り、巨大なキャビネットを作ることに。結果にはとても満足しています。シンプルで美しく、モダニズム的で機能的。脚本どおりではなかったけれど、ブラディも賛成してくれました。
ちなみに誰かから「書斎にはルイス・カーンが設計したソーク研究所の影響を感じる」と言われ、興味深く思いました。大好きなブルータリズム建築ですが、まったくそのつもりはなかったからです。私の頭の中はこれまでの人生で触れてきた参考文献でいっぱい。だから、世間で「この作品は誰々のコピーだ」という非難がたびたび起きるのもよくわかります。つい数週間前のことですが、ロサンゼルスで空港を歩いていて、ふと上を見上げたらドーム型の天井が目に入ったんです。その瞬間、「あれ、私はこれを書斎の天井の参考にしたのかも?」と思って。世界で一番ひどい空港なのに(笑)。そういう、どこにでもあるようなディテールまで脳にインプットされていて、無意識に影響を受ける場合もあるんですよね。
ラースローにとって、書斎はインスティチュートのように「金はいくらでも出すから、なんでも好きなように作ってくれ」と依頼されたものではないけれど、それでも祖国で活躍していた彼の豊かな才能と創造性が窺えます。本棚のお目見えシーンの彼は幸せそうですよね。満足したそぶりを見せる唯一の瞬間といってもいいかもしれません。インスティチュートは彼だけでなく、誰にとっても怪物と化していき、金銭面をはじめあらゆる種類の問題や闘争を引き起こします。さらには芸術家とパトロンの関係性をめぐる課題ともつながっていくのです。
——劇中でお気に入りのプロップがあれば教えてください。
もし何か一つ持って帰れるとしたら、書斎の中心に置いた読書用の長椅子かな。みんなが欲しがっていました。あと個人的には、自分たちで手作りしたインスティチュートの10フィート(約1.5メートル)にも及ぶ巨大な模型も。私が住んでいるニューヨークのアパートには入らないから泣く泣く諦め、処分することになりました……。
Text&Edit_Milli Kawaguchi