インスピレーションの源は、ない。ある種、この連載の大もとを覆す回答からスタートしてしまった、〈ノワール ケイ ニノミヤ〉の二宮啓さんとの対談。そこには分野は違えど、ものを作るもの同士だからこその共鳴がありました。
〈ノワール ケイ ニノミヤ〉の二宮啓さんが常にからっぽであり続ける理由:朝吹真理子のデザイナー訪問記
二宮 啓
〈ノワール ケイ ニノミヤ〉デザイナー
にのみや・けい>> 1984年生まれ。青山学院大学のフランス文学科を卒業後、アントワープ王立芸術学院へ。2008年に〈コム デ ギャルソン〉に入社後、パタンナーとして経験を積み、28歳で〈ノワール ケイ ニノミヤ〉をスタート。2018年2月にモンクレール社のプロジェクト〈モンクレール ジーニアス〉において〈6 モンクレール ノワール ケイ ニノミヤ〉を発表。
Inspiration from
からっぽ
中になにも入っていないこと。また、そのさま。「作り始める前、インプットのために旅に出るみたいなことはしたことがない」「反省はしますが、内省はしません」。世の情報も、他人も自分すらもあえて深掘りしない。すべてをわからないことのほうを大切にしたいから。シーズンごとに、その過程でのアイデアは出し切り、使うに至らなかったものはストックせずになくす。
シーズンごとに作りたいものは 全部出し切る。残ったものは 切り捨てる。だから、からっぽ。
朝吹 展示会でお会いしたとき、僕はインスピレーションの源はない、からっぽだとおっしゃっていたことにすごく共感しました。私自身も常々、自分がからっぽだと思っているんです。自分の体は入れ物で、外からやってきたいろんな面白いものやイメージが体の中に入ってきて、衝突事故のようなものがたくさん起きて、それが作品になっていく。だから自分で生み出すというよりも外からきたものへの応答をしているイメージなんです。だから今日はからっぽ同士で話すんだって勝手に思いました(笑)。
二宮 大丈夫ですかね、からっぽ同士で……(笑)。
朝吹 からっぽさに気づいたのはいつ頃ですか?
二宮 普段からそういうことを考えていたわけではなくて、実際に言葉でからっぽだということを発したのは、この前お話しした時です。からっぽというのは、基本的にはそのシーズンで考えたこと、作りたいことを出し切るという意味。だから残らないんですよ、なにも。よく作り始める前にインスピレーション源を集めますかという類の質問を受けますけれど、時間をかけてインスピレーションを熟成させていく考え方がないんです。もっと瞬発的に判断していくというか、制作期間その時のタイミングに入ってきたもの、というのが正確な言い方なのかもしれないです。
朝吹 その時に入ってきたもの、ですか。
二宮 発表の時期は決まっているのにギリギリで迷惑かけるんですけど、その時の気持ちの昂りのようなものを服にのせて発表したい。
朝吹 発表のサイクルが決まっている中で、イメージのストックを作らないで全部出し切るんですね。創作の限界を広げられるのは、自分がここまでしかたどり着けないという本当にギリギリのところまで毎度伸ばしていかないと次の拡張に至れない。なにかのために使えるかもしれないととっておくより、その場で全部ゼロにして次は作れなくなってもいいというくらいの気持ちでやらないと難しい。小説もそうだと私は思っています。でもそれは、命を削って作っていくことになると思うんですけれど、それは実感されてますか?
二宮 恐怖感はありますよね、やっぱり。時間は絶対に過ぎていくので、いつ作れなくなるのかと思ってしまうような怖さはあるけれど、経験上、そういうことを超えて作ったものじゃない限り、いいものとは思えなくて。
朝吹 以前のインタビューで、言葉というものはニュアンスが強すぎるとおっしゃっていました。言葉に置き換えることへの戸惑いがあるのはよくわかります。
二宮 言葉は人によってその捉え方が全然違うということはもうわかっているんです。洋服を作っていく過程においてのコミュニケーションで考えると、あえて言葉にする必要を感じない。誤解を生むことがよく起こると思うんですよ。定義することは、その言葉の広がり方も人によって幅が全然違うから、まずは(作りたいものを)目で見てもらう。できるだけ注釈を加えたくないんです。
「面白いのはファッションの玄人じゃないとこれを着てどこかに行くのは無理かもと思うのに、着るとなんかすっと着られる。それがすごく魅力だと思います」(朝吹)
仕掛けた時点で新しさはなくなってしまう。 外から見た人に新しいと言われることは重要ではない。 あくまで自分自身が心躍り、ドキドキするものを見つけていきたい。
朝吹 コレクションを作っていくときはチームの人に最初に伝えるとき、どこから始めるんですか?具体的に言葉にするんですか?それともスケッチを先に見せるんでしょうか?
二宮 イメージから始めます。ただチームで一緒に仕事をしているのでそれを伝えるときはスケッチになるのかな。写真だとそれに引っ張られる気がするし。記憶を共有できればいいんですけれどね。
朝吹 記憶は自分にとってはすごく強いものですが、あたりまえですけれど人にそのまま映せないですよね(笑)。まったく同じ形で他の誰かと共有することはできない……。
二宮 はい、難しいです。でも、僕のつかんだイメージそのままを作りたいわけではないので。人と一緒に仕事をしていくとそこにもなにかしらの衝突があって、いい方向に進む。的確に伝わらなくてもそんなには気にしません。
朝吹 誤読を含めて楽しむという感じなんですね。それはチームでやる喜びですよね。
二宮 面白い物作りをやろうという共通認識だけはあって、考え方はそれぞれ違う。仕事をしている中の意見のぶつかり合いはあって然るべきものだと思います。むしろ、そういうものが欲しい。
編集部 実際に人がミックスコーディネートしたりして着ているのはどんな感じで見ていらっしゃるんですか?
二宮 そんなに出会わないですけどね(笑)。でも、自分にない感覚で着てもらったりして、あっと思うことはよくあります。自分が作り上げたものに興味がなくなるわけではないし、愛着はもちろんありますけど、意外とフィードバックの方が面白いことの方が多い。いくら言葉で美しいと言っても、実際に自分で好きなものを着ている人の説得力には勝てないと思う。
コレクションのキーピースにもなった、重厚なドレスにすっぽりと包まれて。「そでをのぞいて内側をみたとき、カミオカンデの中をのぞいたような気持ちになりました」(朝吹)
編集部 世の中のありとあらゆるものが情報化されている今の時代で、新しさというものはなんだと思いますか?
二宮 自分の心が躍ることとか、思うことがたくさんあるようなことに新しさを見出したいです。正直に言うと、人に新しいと言われるということはさほど重要ではなくて。人の見方によっては、ショーで服を見せるということ自体が昔のものだと思うでしょうし、もっとシンプルで機能的な服を着ることがある意味でかっこいいという考え方も理解できます。でも自分はやっぱり今、取り組んでるような、クリエーションが好きで、その中で自分がドキドキするものを見つけていきたい。
朝吹 細かい技術面での新しいトライと、自分が面白いと思うイメージを追いかける両方があって、最終的に新しいものとして届く可能性があるのかもしれないですね。初めから新しさを考えて作られたものが実際に新しいことはかなり少ないんじゃないかと思います。
編集部 あらゆる情報を瞬時にキャッチしやすい世の中だから、クリエーションとしての新しさは人の内側にあるものからしか生まれないのかもしれませんね。
二宮 そのために自分の体という入れ物、筒かな?そういうものの純度を高めていって何かが入ってきたとき自分にどう映るかというのが大事だと思っています。
朝吹 純度を高めておきたいという感覚は、どこまで共感できているかわからないですけど、すごくしっくりきます。純度を高く、からっぽにしているってことですよね?
二宮 すごく熱した鍋に水を入れたときにジュッとするじゃないですか。あのイメージにすごく近い。要は鍋を熱しておくことが自分の準備する部分。それが高温だから気化するのか、きっと思ってもない反応をする。そのときの構え方というのがパーソナリティなのかなと。
朝吹 ああ、このお話うかがえて私は幸せです。素敵な表現だと思います。私は自分の体をチューブのようにするイメージがあるんですけど、水の様態で比喩をきくと本当にそこで変化が起きている感じがすごく伝わってきますよね。水がばっと気化して一瞬にして湯気になる、もしくは氷結するかもしれない。中に一滴落ちて変化が起きる。空っぽで熱くかまえていて、落ちた瞬間に変化して、それが時間を経て私たちが購入できる服になる。美しいです。
二宮 そんな風に言ってもらえるとは思っていなかった。ありがとうございます。
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朝吹真理子
1984年東京都生まれ。2011年に『きことわ』で芥川賞受賞。最新作は恋愛感情のないまま結婚した男女を主人公に、幾層もの時間を描いた『TIMELESS』。7月10日に中央公論新社より、はじめてのエッセイ集を刊行予定。
Photo: Kenshu Shintsubo Text: Kaori Watanabe (FW)