クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。28歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.90 鋼の自己肯定感。ニューアルバムについてのインタビューはこちら。
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.91
ちょっと損をしている人
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vol.91 ちょっと損をしている人
パリッとした白い作務衣姿の男性が、引き戸を開け部屋にお寿司を運んで来てくださった時、シャリを小さめにして握ってもらうのを伝え忘れた、と思った。だけどヒラメ、ブリ、アジの3貫が盛られた寿司下駄が私の視界に入った瞬間、それが杞憂だった事がすぐに分かった。ネタは大きすぎず、かと言って小さい訳ではない。引き締まった魚の身からチラリと見える赤酢のシャリの量はほど良く、お寿司って美しいんだ〜、と惚け、そのまま自分の世界に沈んでいきそうになっていた私を、隣で先にブリを頬張ったらしいマネージャーの「美味しい!」の一言が引き留めた。ハッとし、手を合わせ、いただきますと頭を下げ私もマネージャーに倣う。箸で寿司を持ち上げ、軽く醤油につけながら、そう言えばさっき茶碗蒸しを食べた時にもいただきますしてたな自分、と思い出し。慣れないコース料理で、料理が運ばれて来るたびに、手を合わせてしまう自分をちょっと恥ずかしく、でもそっちの自分の方がなんか好きかもと開き直った。
口に運んだヒラメはさっぱりしているけど咀嚼を重ねるたび、赤酢と醤油がその締まった身に入り込み旨みが鼻から抜ける。夏に食べるお寿司が1番好き、と感慨を込め「美味しい…」とため息混じりに小さく拍手すると私の斜め前に座っていた女性が口元と目元で笑ってくれた。この方にはデビュー時から大変お世話になっていて、だけどお昼をご一緒するのはその日が初めてだった。もう出会って10年以上経っていて、知っているけど、知らない、って大人になったら普通で、仕事上その方が便利だしきっとそれが礼儀でもあるんだけど。でも、とても不思議な心地がした。不思議で、でも、なんかその感じにどうしてか抗いたくなって気づいたら「旦那さんのどこを好きに、良いって思ったんですか?」と尋ねていた。少し前にご結婚された事を伝えてくださり、美味しいご飯が今この場にいる人の心を近づけている気がしたから。でも言ったそばから急に恥ずかしくなり「あっ!でも、はい!立ち入った事なので、微妙だったらスルーで!」と慌てた。そんな私をまた優しく笑った後、私の目を見て「出会った時、この人今まできっと損ばかりしてきたんだろうな〜って思ったんです」と教えてくれた。数秒間があって、私は胸がいっぱいで、あ、その感じ、分かる、と思った。そしてそんな風に人を良いな、素敵だな、って思ってらっしゃるこの人の事が私はとても好きだな、と思った。ちょっと損してるのに、それで良いと、風に運ばれる綿毛の様に生きてる人。自分が悲しくならない、頑張りすぎない優しさの加減を知っているってカッコいい。出来ること、と、出来ない事をちゃんと知っている感じが。お寿司も勿論美味しかったけど、そのエピソードが何よりのご馳走だった。
Text:Leo Ieiri Illustration:chii yasui