クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。28歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.95 広島の夜。ニューアルバムについてのインタビューはこちら。
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.96
曖昧な境界線
vol.96 曖昧な境界線
10月から開催していた全国ツアーは無事、北海道・札幌でファイナルを迎え最高の盛り上がりとなった。その夜、みんなと乾杯し、久しぶりに飲んだビールは格別で。本当にあっという間だったね、と各公演を振り返りながら七輪を囲みラム肉を焼き、語らった。翌日新千歳空港でお寿司とソフトクーリムに舌鼓を打ち、意気揚々と乗った帰りの飛行機。隣に座っているマネージャーである彼女は着席し、ものの数秒でスヤスヤと寝息を立てはじめた。現場で見る彼女は大体いつもパソコン画面と睨めっこしているか、スマホで電話しているか、逃げる私にカメラを向けているか。それでなければ、現場各所で名前を呼ばれ忙しなく動き回っていて。そんな風に描写するとちょっと余裕のない、きりきり舞いしている人物を想像してしまうかもしれないけど、彼女はよく食べ、よく飲み、小さく笑う。どんな流れの中にいても、健気なくらい楽しむことを忘れない人だと思う。一緒にいる時は気づかないけど、現場にいてくれないと心細くなる。存在感の示し方も彼女らしいよなーと思いつつ、私はというとツアーを完走した安堵と寂しさと、12月の上海公演や制作のことで思考がまとまらず、とめどない。まずは使い切った心と体を回復させることが先決だろう、と目を瞑っても、上手くいかない。完全に交感神経が優位な状態になっているなぁと、こめかみを抑えながら大きく深呼吸する。諦めて耳にイヤフォンを押し込み、機内のWi-Fiサービスを繋げ昨晩のライブ音源をダウンロードする。同録を聴きながらどんどん覚醒してくる全能感にこれはマズい、とLINEのトークルームを開き、駆け込み寺であるその人の名前を見つけ出した。「今日って予約空いてたりしますか?」とメッセージを打つと、すぐに「日曜日だから混んでて。少し遅めでも良いなら大丈夫です」と有難い返事をいただき、頭と体をほぐしてもらうことにした。
約束の時間まで少し時間があったので、シュークリームとラスクの差し入れを買い、店までのんびり歩く。空気がひんやりしていて気持ちが良い。札幌は雪国だけあり、室内の暖房環境が整い過ぎているくらい整っていて、寒さを感じる暇もないくらいだった。私はやっぱり日が落ちてからする散歩が好き。特に寒い時期に。
インターホンを鳴らし階段を上がると、「おかえりなさい。そしてツアーお疲れ様!」とあったかい笑顔のお出迎え。腰掛けた椅子がほんわかあったかくて、少し驚いた顔をすると「湯たんぽ置いてたの」とマジックの種明かしをするみたいに無邪気に笑った。「マッサージを受けてる間も湯たんぽをお腹の上に置いておくとリラックスできるよ」の教え通り、気づけば夢の中。身も心も柔らかくなり、寝ぼけた頭で鏡に映る自分を不思議な心地で見つめながら、乱れた髪をとかしてもらっていた。私が今日最後のお客さんということもあり、1日の心地良い疲れが2人の境界線を曖昧にする。ドライヤーで私の髪をブローしているその人は目を細めながら「昔ね、大失恋をして、無心で編み物をしていた時期があったの」と言った。「可愛いなって思う本を買ってきて、片っ端から編んだ。最初に作ったのはカエル。頭の部分が上手くいかなくて、3回も毛糸を解いてやり直したの。」失恋の話を聞いているんだっけ?って思うくらい、優しい声と和やかな表情。どうしてその人が私にその話を聞かせてくれたのか分からないし、その前にそういう事を話していた訳でも、私が恋について何か質問をした訳でもなかった。すごく自然で、聞く前から私はこの話をずっと忘れないだろうなって不思議な予感がした。すごく個人的で幸福な記憶は透明な光を持つ。相槌を打ちながら聞くエピソードは、胸に、笑ってるのに泣いてるみたいな広がり方をした。「最後にね、1つだけオリジナルのぬいぐるみを編んだの。そしたら、もうパッと。そこから彼のことを思い出すことがなくなった。」その人はそう言って笑ったけど、多分今でもその彼の幸せを願ってて。恋愛から始まって、恋愛を越えた想いって永遠なんだなって思った。
Text:Leo Ieiri Illustration:chii yasui