2022年の話題作『わたしは最悪。』の製作会社、オスロピクチャーズが放つ新作映画『シック・オブ・マイセルフ』。主人公のシグネは恋人や周囲の気を引きたいあまり、あえて「皮膚疾患」の副作用がある違法薬物に手を出す……。ノルウェー出身のクリストファー・ボルグリ監督は、A24製作×アリ・アスタープロデュース×ニコラス・ケイジ主演の次回作『Dream Scenario』も控える注目株だ。社会的なテーマ性や、新鮮な映画表現をストイックに模索しながらも、本人の北欧人らしい控えめな口調からは想像もできないくらい、エクストリームに遊びまくっていた。
映画『シック・オブ・マイセルフ』クリストファー・ボルグリ監督にインタビュー
ウディ・アレン風味のロマコメから、ヘルなホラーへ急転直下!「大胆で新しいことをしたい」

──最新作『シック・オブ・マイセルフ』はもちろん、監督個人のYouTubeチャンネルでいくつかの短編映画も観たのですが、どれも超絶シニカルかつサスペンスフル。物語がどう転ぶのか、続きが気になって夢中で観てしまいました。脚本を書く上で何を大事にしていますか?
脚本家なら誰しも、自分がアイデアを選んだのではなく、アイデアが自分を選んだように感じるものだと思う。僕はユーモアと、ある種の居心地の悪さや不快さが共存するゾーンに、特別な興味を持っていて。観客が笑っていいのか迷うようなその感じに、つい何度も立ち戻ってしまうんです。
──今作の場合、どのように脚本を書き進めましたか?
何年も前から頭にこびりついて離れなかった、あるイメージが出発点でした。それはオスロ出身のノルウェー人の、いかにも恵まれた環境にいるようなブロンドの若い女性が、皮膚病にかかっていて、そのことを喜んでいるというイメージ。着想源はファッション業界の変化です。美の基準を再構築し、多様な外見やサイズを歓迎する「インクルーシビティ」に、突然焦点が当たるようになりましたよね。ひょっとすると、ファッションそのもの以上に重要視されるほどに。
「ああ、ここに物語がある!」と思いました。つまり一般人の若い女性が、どういうわけか皮膚病をわずらいながら、最終的にファッション業界に身を置くことになる。とにかく、僕自身が信じられる物語を作り上げたいと考えていました。キャラクターと友だちになれるくらいリアルで、なおかつこの企画をやり通したいと思えるくらい奇妙でクレイジーな物語。それで、シグネという主人公を書くことを決めると同時に、彼女のパートナーであるトーマスも書くことにしました。シグネが極限まで突っ走っていくからには、機能不全に陥った、ほとんど有害で競争的な恋愛関係が欠かせない気がしたんです。
──シグネはカフェ店員で、トーマスはイリーガルな表現活動を行う新進気鋭のアーティストです。現代アートの世界も描いた理由は?
それにはとても明確な答えがあります。実際にトーマスのように、デザイナーズ家具や高級ワインを盗むグループがオスロにいたからです。彼らはアート界の周縁にいるような感じで、一般社会から完全に外れたライフスタイルを作り上げていました。興味をそそられて調べ始めたところ、グループの何人かと親しくなり、話を聞くことができました。そして、それを映画にしたんです。彼らとしてはちょっとしたボヘミアンなゲームをしているような感覚で、とても興味深くユニークなミニ・サブカルチャーだと思いました。
実はこの映画の制作中、彼らは全員逮捕され、ノルウェーでは大きく報道されて波紋を呼びました。そして映画の公開とともに、裁判が始まった。まるで映画が現実を先取りしているような感じで、僕自身も「事件になんらかの形で関与しているんじゃないか」と思われたり、「裁判は映画のPRに過ぎない」と考えている新聞さえ現れたりしました。裁判が始まるずっと前に撮影を終えていたから、そんなことありえないんですけどね。この流れは、今作がノルウェーでヒットした要因の一つです。
──ファッション業界のインクルーシビティをめぐる欺瞞。そして、高価なデザイナーズ家具やワインを盗むグループ。そういったモチーフを選ぶのは、たとえば資本主義に懐疑的な気持ちを持っているからでしょうか?
ですね。ファッションの仕事の経験は少ないとはいえ、僕は広告の仕事を通じて、業界の内部メカニズムを見続けてきました。だから当然、広告や資本主義について風刺や批評をしたくなります。彼らの罪は、商品を購入しさえすればアクティビズムに参加した気分になれるまやかし作り。多くの場合、もともとのメッセージを弱めたりダメにしたりする上、結果として、僕たちが善意や芸術について懐疑的になるように仕向けているような気がする。というのも、ご都合主義的な善意や芸術があまりにも多いから。真の善意や真の芸術に直面したとしても、きちんと見極めるのはかなり難しいはずです。
たとえば劇中に、インクルーシビティに重点を置いたモデルエージェンシーのCEOが登場します。彼女は視覚障害者で女性のアシスタントを雇っているんだけど、それはあくまでインクルーシブな自分を演出するための見栄によるもので、アシスタントのために職場環境を改善しようなどとはみじんも思っていない。そう、これは芝居なんです。こういう矛盾はいろいろな意味で喜劇に適していますし、その裏には突き詰める価値のある、真の批評が存在していると思います。
──製作陣はこの映画を「アンロマンチックコメディ」と銘打っていたそうですが、監督からするとジャンルはなんですか?
いろいろなジャンルが融合しているのは明らかですよね。まず、ホラーのサブジャンルであるボディホラー(*肉体の破壊や変容による恐怖を表現するホラー)。ちなみにこの分野の巨匠といえば、もちろんデヴィッド・クローネンバーグです。そして、もちろんコメディやドラマの要素も。コメディとドラマの融合はごく普通だけど、そこにボディホラーが加わるなら話は別。もともとボディホラーのルックに興味があって。特殊メイクとか、人体のフィギュアとか、特有のグロテスクさとかね。
「どうしたら観客に新鮮な驚きや衝撃を与えられるだろうか?」。それでウディ・アレン作品のようにラブストーリーとコメディとドラマが入り混じっていたかと思えば、突然ボディホラーに一変する、そんな映画を作ることにしたんです。みんなもうホラーやボディホラーは観慣れてしまって、驚きがないですから。映画を撮る上で、メディアリテラシーを意識することは大切です。描こうとしているテーマに人々がどれだけ精通しているかを考え、望む効果を生み出すためにいろいろな要素を組み合わせなければならない。それが、「現代の映画監督として、観客に語りかけること」だと思います。映画でできるあらゆるひねりを意識しながら、いつもどこか大胆で新しいことをしようとたくらんでいます。
Edit&Text: Milli Kawaguchi