『8人の女たち』『しあわせの雨傘』で知られる、フランソワ・オゾン監督の最新映画『私がやりました』。有名映画プロデューサーが自宅で殺された。容疑をかけられたのは、売れない若手女優マドレーヌ。彼女は法廷で、親友の新人弁護士ポーリーヌが書いた、正当防衛を主張するセリフを完璧に読み上げ、無罪を獲得。それどころか世間の注目と同情を集め、まさかのスターダムへと上り詰める……。監督は#MeToo運動をきっかけに、今作ではシスターフッドの物語を紡ぎたかったという。
映画『私がやりました』フランソワ・オゾン監督にインタビュー
描きたかったのはシスターフッド。「たくましい女性像に惹かれる」

──この映画の舞台設定は映画業界ですが、原作の戯曲ではそうじゃなかったとか?
もともとの原作の舞台は文学界だったんです。主人公のマドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)の職業はジャーナリストというか作家でしたが、今回はあえてマドレーヌを俳優という設定にしました。俳優はいつだって芝居をしていて、つまりは常に嘘をつく職業ですよね。だからこそ、そこで何か哲学的な考察ができるんじゃないかと思ったんです。俳優とはどういう存在なんだろう? 俳優が真実を言うのはどんな時なんだろう? マドレーヌはもともと売れない新人俳優だったにもかかわらず、法廷の場で嘘を見事に言ってのけることによって、素晴らしい俳優へと成長していく。「うまく嘘をつくことでいい俳優になる」という構造がとても面白いと思ったんです。
──主人公を俳優のマドレーヌと、その親友で駆け出しの弁護士のポーリーヌ(レベッカ・マルデール)という女性コンビにしたのも監督のアイデアだそうですが、それはなぜですか?
原作のポーリーヌはまったく影の薄い存在でした。この映画でポーリーヌのことを、マドレーヌと同じくらいの存在感がある設定にしたのは、シスターフッドを強く打ち出したかったから。この戯曲は1937年にハリウッドでも映画化され、その時の設定上はマドレーヌの夫が弁護士になっていました。夫はマドレーヌが殺人を犯したと思い込み、彼女を弁護するわけです。でも、私は二人の若い女性コンビが主人公の方がいいなと思いました。
──ポーリーヌはマドレーヌに惹かれているようなそぶりも見せます。ポーリーヌのセクシュアリティについて考えていたことを教えてください。
『8人の女たち』(02)の時も、カトリーヌ・ドヌーヴとファニー・アルダンがキスするシーンがありましたよね。それも原作の戯曲にはなかった描写です。たしかに今回の映画では、ポーリーヌはまだ自分のセクシュアリティをはっきりとはつかみかねています。だからこそ、若いジャーナリストの青年(フェリックス・ルフェーヴル)のことが気になったり、かつての大女優オデット(イザベル・ユペール)から「あなた綺麗ね」って言われると悪い気がしなかったり。そんなふうに揺れている状態を描こうと、早い段階から決めていました。
──ブロンドとブルネットというビジュアルも含め、マドレーヌ役のナディアとポーリーヌ役のレベッカのコンビ感がとてもいい。二人が生み出す化学反応を、監督はどう感じましたか?
さっきも話したように、一番表現したかったのはシスターフッドです。役柄上、二人はお互いにお互いを助け合いながら、危機をなんとか乗り越え、一緒に社会的成功をつかみとろうと手を組みますよね。演じるナディアとレベッカの間にも、本当の意味での共犯関係が存在していました。ライバル関係ではなく、二人の気がすごく合っていたことが功を奏したと思います。最終的にブロンドのマドレーヌとブルネットのポーリーヌにプラスα、赤毛のオデットが加わって、トリオで女性の権利を獲得していく物語にしました。
──最近の監督作で言うと、『Summer of 85』(20)主演の若手俳優コンビ、フェリックス・ルフェーヴルとバンジャマン・ヴォワザンの相性も素晴らしかったです。俳優同士を組み合わせる上で、いつもどんな観点からキャスティングしているんですか?
たとえばハリウッドは、映画が嘘で成り立っていることを公言し、実際には犬猿の仲の俳優二人がキスをすることなんて当たり前。でも僕自身は、俳優同士が意気投合し、和気藹々とした雰囲気が自然に生まれないとダメだなと思っているんです。キャスティングにおいては、最初は一人ずつ会ってから、あとでコンビを作ってみて、うまくいきそうな二人を起用しています。だからこそ、バンジャマンとフェリックスも、ナディアとレベッカも、友達付き合いを続けているみたいですよ。
Edit&Text: Milli Kawaguchi