4月1日からスタートした、NHK連続テレビ小説『虎に翼』。春らしく爽やかなオープニング「さよーならまたいつか!」は、日本初の女性弁護士誕生のストーリーをどう彩るのか。自身初となる“朝ドラ”主題歌を書き下ろした米津玄師に、後編では楽曲に込めた思いを聞いた。
前編はこちらから。
米津玄師、朝ドラ主題歌を歌う(後編)
この物語の曲を作るにあたり、キレるのって大事だなと思った
軽やかさの中に必要な
ある種の“粗暴さ”
──「さよーならまたいつか!」というタイトルは、「さようなら」ではなく、「さよーなら」と抜け感があっていいですね。
やっぱり軽やかでありたいですよね。飄々とした、執着していない感じというか。「さようなら、絶対に再会しましょうね」という圧がある感じではなくて、「さよーなら、またね」という、会えなかったら会わなくてもいいけどね、という。熾烈なこと、抑圧を歌っている分、軽やかに、高らかに歌うというのは大事にしましたね。
──「口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く」のフレーズは2回出てきますが、1回目と2回目で歌い方を変えていますよね。
軽やかで爽やかな曲にしたいと同時に、粗暴さも入れたいと思ったので、高らかな2回目に対し、1回目は汚して歌っています。そう思うに至った理由の1つに、伊藤沙莉さんの声があって。彼女の独特なゲイン感のある、ちょっと歪んだ声がすごく好きなんですよね。そこからインスピレーションを得た部分はあるかもしれません。
──軽やかな曲だから、あえて軽やかに歌わないようにしたのでしょうか?
この物語の曲を作るにあたって、キレるのって大事だなと思ったんです。初めての女性弁護士になる寅子は熾烈な状況を打破していく。その中で不快な目にも遭うし、どうしようもなさにぶち当たるけれども、そこを突き進んでいくために、強く主張する。何かを主張するというのはすごく大事なことであって。本当はこうしたいけれど、強く言うと反感を買うかもしれないからタイミングを見ようとか、伝え方を変えようとする気遣いは大切な視点ですが、それでは世の中が変わっていかないですよね。時には人を不快にさせるような表現だったとしても、ある種の粗暴さは、こういうドラマだからこそ、絶対になくしちゃいけない大事な要素なんじゃないかなと感じました。
──社会全体が自分の思いや願いを強く主張することに躊躇しがちですよね。
今の世の中は、暴力的であることにものすごく敏感というか。加害性をとことんまで排除しましょうというムードになっている。その流れに異論はありませんが、やりすぎじゃないかなともどこかで思うんですよね。そもそもコミュニケーションは、お互いを傷つけあうことから逃れられない。暴力的であらざるを得ない部分は絶対にあって、そうしないとお話をすることも、挨拶することすらままならない。だから、まずはコミュニケーションって暴力的だよねっていう認識から始め、その上で、なるべく人が傷つかないような世の中を作っていくべきだと思いますね。そこから始めないと平行線というか、進むものも進まない気がするので。
──そういったことをいつも考えているのですか?
そうですね。ライフワークとして日記をつけているんです。文字を書くのがすごく好きで、自分が思っていることとか疑問に思ったことを一回言語化するので、結構考えますね。デトックスというか、自己セラピー的な感覚があってすごくいいですよ。15年ぐらい続けていて、たまに読み返しますが、遡るほど稚拙だなと思うこともあるけれど、意外とこの時からこんなこと考えていたんだ、という発見もあって面白いですね
Photo_Tomokazu Yamada Text_Mika Koyanagi