日本の建築を語るうえで欠かすことのできない写真家の元自邸兼オフィス。半世紀を経ても鋭い空気感をたたえる、打ち放しコンクリート建築の先駆けを訪ねました。
半世紀前に建てられた、打ち放しコンクリート建築の先駆け「ジーエー・ギャラリー」:東京ケンチク物語 vol.41

ジーエー・ギャラリー
GA gallery
日本の建築史にしかと足跡の残る、二川幸夫という人物を知っているだろうか?2013年に亡くなった彼は、写真家にして編集者。伝統的なものからコンテンポラリーまで、国内外の建造物の撮影を重ね、自ら設立した専門出版社「A.D.A. EDITA Tokyo」を通じて、建築についての書籍・雑誌を刊行してきた。この分野への造詣の深さと見識の高さは、国内はもとより世界的にも知られ、安藤忠雄をはじめとする才能をいち早く見出したのも二川だ。この人の批評眼、そしてそれが表現された写真がなかったら、日本の建築シーンはどうなっていただろう?そう思わずにいられないほど、大きな功績を残した人物だ。
その二川が本拠としたオフィスと、展示スペース「ジーエー・ギャラリー」があるのは千駄ケ谷と原宿の中ほど。明治通りをそれてすぐの角地に立つ打ち放しコンクリートの建物だ。向かって左側の5階建てのメイン棟は、自邸兼オフィスとして1972年の築。さらに1983年に、向かって右側に、書庫とギャラリーを兼ねる地上2階・地下3階のサブ棟を構えた。建物はその後に機能を少しずつ変え、現在は建築・デザインの専門書店とギャラリー、そして「A.D.A. EDITA Tokyo」のオフィスが置かれる。
メイン棟は、道路側の書店、展示空間、トイレ、ミーティングルーム……と、半階ずつ上がりながら各部屋がつながるスキップフロアの構成。中心をなすのは3層分の吹き抜けになった展示スペースだ。書店越しに道路を見下ろし、高い天井からは光が射す、コンクリート壁の一室。壁と天井三面がガラス張りの通路を隔てて隣に立つサブ棟2階へと通じる階段の造形が、さらに空間を引き締める。いずれの棟も、二川がコンセプト設計を行い、建築家・鈴木恂が図面を引いて形にした。二人は海外へ建築研究の旅もともにした友人同士だったという。まだ日本では打ち放しコンクリートの建物などほとんどなかった頃に生み出した、ストイックで切れ味の鋭い、ぴんと背筋を伸ばして向き合いたくなる空間。それはそのまま、建築のよいところも悪いところも、忖度なく写真に言葉に綴った二川その人に重なるようでもある。建築の最前線に身を置き続けた人物がつくりあげた、実験的で先鋭的な試みが詰まった一軒だ。