昭和のダメおやじ・小川市郎(阿部サダヲ)が令和にタイムスリップして波乱を巻き起こしてきた『不適切にもほどがある!』(TBS金曜夜10時〜)。とうとう昭和の時代に帰る市郎を描く10話 (最終話)を、ドラマを愛するライター・釣木文恵と、イラストレーターのオカヤイヅミが振り返ります。9話のレビューはコチラ。
寛容になりましょう!人は変わっていくことができる
昭和のダメおやじ・小川市郎(阿部サダヲ)が令和にタイムスリップして波乱を巻き起こしてきた『不適切にもほどがある!』(TBS金曜夜10時〜)。とうとう昭和の時代に帰る市郎を描く10話 (最終話)を、ドラマを愛するライター・釣木文恵と、イラストレーターのオカヤイヅミが振り返ります。9話のレビューはコチラ。
10話をかけて(作中では半年にわたって)令和と昭和を行き来していた小川市郎(阿部サダヲ)。しかし、井上(三宅弘城)が開発したタイムマシーンのスポンサーが撤退し、この先の燃料費が工面できないことから、最後の一往復で昭和へと帰ることに。サカエ(吉田羊)とキヨシ(坂元愛登)も令和の世へと帰っていく。
元の時代に戻った市郎は昭和の、サカエは令和の社会に潜む「不適切」が気になってしまう。昭和の雑な認識や言動、同調圧力、それまでは普通にやっていた体罰。令和のSNS越しに傷つけ合う振る舞い。それに対して時空を超えて話し合った市郎とサカエ。
「片っぽがアップデートできていないとしても、もう片っぽが寛容になれば、まだまだつきあえるでしょう」
とサカエが言い、最後のミュージカルシーンが始まる。ハナ肇とクレージーキャッツの「スーダラ節」や「無責任」シリーズを彷彿とさせる曲調の「寛容になりましょう」。昭和がよかったわけでも、令和が最高なわけでもない。市郎の言うように「昭和も令和も生きづらい」面はある。違う時代を経験した二人はその時代では当たり前とされていることに違和感を持った。気づきを得た。それがきっと、時代を変える第一歩になりうるのだろう。
このドラマに描かれている全てを手放しで絶賛したいわけではない。インティマシーコーディネーターはもっといい描き方ができたのではないかとも思うし、サカエの職業から想定される振る舞いと、自分ごとになったときの言動の差は、一度考えて納得するプロセスが必要だった(4話レビュー参照)。けれども、それも含めて、自分の認識を顧みるきっかけを与えられるドラマだった。
「スーダラ節」「無責任一代男」がリリースされたのは1960年代。さすがにリアルタイムでは知らないけれど、当時、植木等が体現する無責任男に対して「不適切」という声は挙がったのだろうか。リリースがもし1986年だったら? 2024年だったら? それぞれ、きっと60年代とは違った受け止められ方をするのだろう。
Edit_Yukiko Arai