『エヴァの告白』などで知られるジェームズ・グレイ監督が、1980年代のNYで過ごした子ども時代を投影した自伝的映画『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』。多感な少年ポールの瞳を通して、当時から今につながる理不尽や不公平が浮き彫りになっていく。かつてロシアから逃れてきたユダヤ移民の子孫という、自身のルーツも直接掘り下げた本作について、監督に話を聞いた。
「自分の声で語れるのは自分だけ」。映画『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』ジェームズ・グレイ監督が脚本も書き続ける理由

──主人公のユダヤ系アメリカ人の少年ポールは、状況次第で特権のある側になったり、逆に人種差別を受ける側になったりするダブルバインドを、身をもって体験します。ポール役のバンクス・レペタと、その親友である黒人生徒ジョニー役のジェイリン・ウェッブは、そういう差別の構図まで理解していたんでしょうか? 子役たちとどう話したか教えてください。
素晴らしい質問をありがとう。この映画について20カ国ほどでインタビューを受けてきましたが、初めて聞かれました。でもその答えは、残念ながら面白くないかもしれない。つまり、彼らに深くは説明していないんです。撮影当時、バンクスは12歳で、ジェイリンは14歳だったかな。その年頃だと、まだ世界の複雑さを理解するための倫理的な基盤がないからです。
何が起きるか、そこで登場人物はどう感じるかといった簡単な説明はします。でも、もっと大きな意味合いについては話しません。それは子役たちではなく、私たち大人が見出すべきものですから。映画監督の難しさの一つは、登場人物の上に立たないようにい続けることです。優れた芸術は、道徳を振りかざしません。自分もそうならないように気を付けています。相手が大人の俳優だったとしても、そこまでは説明しなかったと思います。彼らは状況を演じているのであって、何か大きなテーマを演じているわけではないんです。
──監督は、ポーランドからアメリカに渡った移民女性の運命を辿る『エヴァの告白』(13)などの過去作でも、小さな物語を通して、より大きな社会背景を描いてきたように思います。その社会背景について、あえて俳優に説明はしないということですね。
はい。監督の役目は、自分がいかに賢いかをひけらかすことではありません。そうではなく、物語のすべてを知ることはできないのだと俳優に気付かせ、また自分自身にも気付かせることです。登場人物全員の立場に立つことはできないからこそ、一人一人を自分のすべきことに集中させるんです。たとえばXという人物を演じる俳優なら、Xが見ている世界だけを見るべきです。
映画を通して伝えるべきは、「みんな愚かだ」ではなく、「“私たちは”みんな愚かだ」ということだと思います。最善の策は、他の人を見下すのではなく、思いやりを伝えること。冷笑主義は助けになりませんが、それが答えだと考える映画人もいます。いろんな考え方があっていいですが、私としては、そういう作品は息が短いように感じて。より長く残るのは、自分たちの存在について考えつつ、この世界の混乱や複雑さをありのまま認める作品だと思います。
──当初は公立学校に通っていたポールですが、ジョニーとやらかした些細な悪事により、私立学校に転校させられます。そこに、ドナルド・トランプの姉マリアン(ジェシカ・チャステイン)と、父フレッド(ジョン・ディール)が講演のためにやってきます。彼らは実際に、監督ご自身や監督のお兄さんが通っていた私立学校を訪れたとのこと。講演のシーンは、お二人の記憶をつなぎ合わせて書いたそうですが、思い出す上でどんな話をしましたか?
まず兄に電話で、映画のためとは伝えずに「マリアン・トランプがうちの学校で講演したときのことを覚えてる?」と聞いて。「もちろん」という答えだったので、「講演の内容を覚えている限り正確に、紙に書いてみてほしい」とお願いしました。私も同じように書き出し、お互いの記憶を比較したところ、とてもよく似ていたんです。私たちは共に講演を目撃したけど、それについて話したことはありませんでした。ということは、かなり正確な記憶なのだろうと。
フレッド・トランプが学校の廊下に突っ立っていたのもよく覚えています。まさにこの映画で映し出したような感じで、邪悪なピエロのようでした(笑)。他にやるべきことがたくさんあるはずのこの男が、なぜただ廊下に立って時間を過ごすのか、当時の私には謎でしたね。一瞬でも私の人生と彼らの人生が交差したのは奇妙なことですが、実はさらに奇妙な事実があって。
──なんでしょう?
ドナルド・トランプは、私と同じ私立学校に通っていたんです。私よりずっと年上なので、時期はまったく違いますけどね。彼は素行不良で退学になり、父フレッドは息子を陸軍士官学校に入れました。そこで寮のルームメイトになったのは、なんとフランシス・フォード・コッポラだったらしいんです。
──ホントですか!? 奇妙な偶然ですね……。トランプ父娘の登場シーンは当初から入れようと決めていましたか?
最初に書いたシーンの一つかもしれません。マリアン・トランプ役はジェシカ・チャステインに演じてもらいましたが、当初からスターのキャスティングを考えていました。というのは、マリアン本人を前にしたとき、子どもながらに非凡な人物に会ったとき特有の恐怖を感じたからで。あの講演は、今となっては完璧なスピーチに思えます。でも一方で、まったく無神経でバカげているようにも感じます。あの講演シーンのどこか間違った感じは、ある意味で気に入っているんです。富に囲まれている人は、自分の優位性に気付かない。この映画のテーマの多くが凝縮されているシーンです。
──12 歳の頃の夢は、ポールと同じように芸術家だったと聞いています。それがどのように映画監督に絞られていきましたか?
子どもの頃、カーネギーホールの地下に映画館があったんです。カプチーノやエスプレッソが飲めるカフェスペースもあって、そこで映画を観終わった後に話し込める、こじんまりとした映画館でした。あるとき友だちと一緒に、コッポラの『地獄の黙示録』(79)とキューブリックの『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(64)の2本立てを観に行ったんですが、『地獄の黙示録』を観て人生が変わりました。最初、画面が真っ暗な中、「プァ、プァ、プァ」と不思議な音が聞こえてきて、「なんだ?」と思っていると、やがてヘリの音だと分かる。衝撃でした。
その半年後には、映画は究極の芸術だと確信していました。今でもそう思っています。なぜなら、映画が世界にとってどれほど素晴らしい贈り物であるか、私たちはまだ十分に理解できていないと思うからです。映画は自分の夢を誰かに伝えるもので、ある意味AIよりも印象的です。AIは基本的に、あなたや私が持つかもしれないアイデアの組み合わせでできていますが、人々に共感を求めているわけではありません。映画は共感を求めます。映画は「ある誰か」が考えた「他の誰か」の人生で、それはかけがえのないものです。
──監督は全作で脚本も手がけていますが、⻑編デビュー作『リトル・オデッサ』(95)のときのインタビューですでに、「人の脚本では撮りたくない」と話していました。「自分の物語は自分で語る」という考え方には、『アルマゲドン・タイム』で描かれた少年時代の経験も影響していますか?
考えたことはないですが、もしかしたらそうかもしれません。人生には、自分の意見を聞いてもらうために闘わなければならないとき、自分の望みが人々に受け入れられていないときがあって……。私にはたくさんの欠点があります。いろんな意味で本当にダメな奴なんです。でも人間はみんな多かれ少なかれ、そうなのではないでしょうか?
いい人間になろうとしてきました。もちろん失敗したこともあります。でも、私には「聞いてもらいたい」という意欲があるんです。その意欲があるなら、自分で物語を書かなければならない。自分の声で語れるのは自分だけです。自分の話をしない方がいいなんて、誰にも言わせてはいけません。「黙れ」というのは、人が誰かに伝えられる最悪の言葉です。その人の世界観がどうでもいいと伝えることは、つまり、その人自身がどうでもいいと伝えることに等しいから。
──ブラッド・ピット主演のSF『アド・アストラ』(19)などを経て、数作ぶりにご自身のルーツを投影した物語に立ち返りました。何か発見はありましたか?
私にとって最高の映画とは、正直な映画だと実感しました。境界を越えて広がるような、超越性がある作品が望ましいですね。アイデンティティ・ポリティクスやカルチュラル・スタディーズによる境界線や、左派VS右派のように単純な境界線。こういった境界を巡る議論は、社会や政治のシステムが取り組むべきもの。芸術の機能はまったく異なります。自分が気持ちよくなるためでも、他人を気持ちよくさせるためでもない。フィルターを通さずに、純粋に、シンプルに表現すること。できる限り正直であることが、映画作りの理想だと考えています。
『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』
1980年、ニューヨーク。ユダヤ系の中流家庭に生まれ育ったポール(バンクス・レペタ)は、公立学校に通う12歳。教育熱心な母エスター(アン・ハサウェイ)、働き者の父アーヴィング(ジェレミー・ストロング)、私立学校に通う兄テッド(ライアン・セル)と何不自由なく暮らしている。想像力が豊かで芸術に興味があるポールにとって、一番の理解者は祖父アーロン(アンソニー・ホプキンス)だった。学校生活も窮屈そのものだが、ポールは唯一、クラス一の問題児である黒人生徒ジョニー(ジェイリン・ウェッブ)と打ち解ける。しかしある日、ポールとジョニーがやらかした些細な悪さが、二人の行く末を大きく分けることになる――。
製作・監督・脚本: ジェームズ・グレイ
出演: アン・ハサウェイ、ジェレミー・ストロング、バンクス・レペタ、ジェイリン・ウェッブ、アンソニー・ホプキンス
配給: パルコ、ユニバーサル映画
2022年/アメリカ・ブラジル/スコープサイズ/115分/カラー/英語/5.1ch/原題『Armageddon Time』/PG-12
5月12日(金)よりTOHOシネマズシャンテほか全国ロードショー
© 2022 Focus Features, LLC.
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James Gray
1969年生まれ、アメリカ・ニューヨーク出身。南カリフォルニア大学を卒業後、25歳のとき『リトル・オデッサ』(94)で映画監督デビュー。同作は第51回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。主な監督作品は『裏切り者』(00)、『アンダーカヴァー』(07)、『トゥー・ラバーズ』(08)、『エヴァの告白』(13)、『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』(16)、『アド・アストラ』(19)など。
Text&Edit: Milli Kawaguchi