余命3カ月の父親と、結婚まで3カ月の娘。椎名父娘(木梨憲武、奈緒)の特別な3カ月間を描く『春になったら』(フジテレビ系月曜よる10時〜 )の7話(2/25日放送)までを、ドラマを愛するライター・釣木文恵がレビュー前編として振り返ります。
奈緒×木梨憲武『春になったら』は、お涙頂戴にならない「余命モノ」
絶妙に木梨憲武本人が重なってくるシーンの数々
『春になったら』前編
劇的な設定よりも胸を打つ
日々の営みの美しさ
余命宣告された登場人物を描いた創作物は、いくつもある。そしてそういう人物が出てくるドラマや映画は、「感動の物語」になりがちだ。死という永遠の別れを前にしたら、それは当然のこと。だからこそ、そのあまりにもわかりやすい図式を忌避する人もいることだろう。
そんな中で『春になったら』は、決して安易な「余命モノ」ではない、愛おしさに溢れたドラマになっている。
奈緒が演じるのは助産師として働く椎名瞳。6歳で母を亡くし、以来22年間父とふたりで暮らしてきた。父である椎名雅彦(木梨憲武)は実演販売のスペシャリスト。仕事柄か大声で話す、ひょうひょうとした軽さを持つ自由人。2024年の元旦、瞳は3カ月後、10歳上の売れない芸人・一馬(濱田岳)と結婚することを、雅彦はステージ4の膵臓がんで余命3カ月であることを伝え合う。
売れない芸人、しかもバツイチの子持ち。猛反対する雅彦。一方の瞳は父の病気に戸惑い、一旦は結婚をキャンセルするが、「最後まで自分らしく」と治療を拒否する雅彦に治療をしてもらうべくあえて結婚を推し進めようとしたり、やはり再び結婚を延期しようとしたりと試行錯誤する。
瞳は「結婚までにやりたいことリスト」を作っていた。雅彦もそれにならって「死ぬまでにやりたいことリスト」を作り、徐々に病に蝕まれゆく身体を抱えつつ、少しずつ実行に移してゆく。娘と二人で旅行に行ったり、わだかまりの残っていた幼馴染み(中井貴一)に謝りに行ったり(この中井には木梨自らオファーしたのだという)。少しずつ人生を仕舞ってゆく雅彦。
だが、このドラマのいちばんの魅力は「余命を知る人が人生を仕舞う様子」の部分ではない。余命がありながらも、ほんの少しとくべつな日常を暮らしていくその日々の営みそのもの。そこで交わされる会話そのもの。そんな彼らを取り巻く風景の美しさ。
大事なことを話しているシーンも、もちろんある。けれども、たとえば直近の7話だけとっても、キャンプに出かけようとした雅彦と瞳がお互いにキャンプ用具を買ってきてしまい、マグカップがかぶることとか。キャンプではそれぞれ相手が買ってきたマグカップのうちひとつを使っていることとか。息抜きに瞳が親友の美奈子(見上愛)と遊ぶ中で、カフェでお互いのケーキを暗黙の了解でひと口味見することとか。そんな、セリフにさえ現れない些細な場面に、彼らが重ねてきた時間が見えて、愛おしくなる。
瞳が息抜きで行った料理教室で「アレンジすればお父さんにいいかも」と思いを馳せる頃には、雅彦が1話で何気なく食べていた具だくさんのラーメンを一口すすることさえつらくなってしまっている、その対比もみごとで、だからこそ切ない。
脚本は『まんぷく』(NHK)『オールドルーキー』(TBS)などの福田靖、演出は『かしましめし』や『きのう何食べた? Season2』(テレビ東京)の松本佳奈と、映画『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』の穐山茉由。彼らをはじめとしたスタッフが決して大仰になったり、型にはまった表現になりすぎないよう、丁寧にこの作品を作っていることが伝わってくる。
Edit: Yukiko Arai